中国・万里の長城で「六甲おろし」の合唱
阪神タイガースへの思い入れに、自分自身ながら"阪神教"の熱狂的信者みたいだ、とあきれている。が、いまさらどうすることもできぬ。社内では「阪神のオーナー、今年も最下位かね」などと冷やかされる。
とにかく、勝った翌朝はポストに新聞が入る音(午前5時ごろ)を待ち受けて取りに行き、まず、スポーツ面を見る。午前六時ごろからのテレビのスポーツニューズを次々にチャンネルを変えて。それでも足りず、駅の売店でスポーツ新聞を二紙買って読みながら出勤する。とくに巨人に勝った翌日は数紙買う。が、敗れた翌朝は自社のスポーツ面もパス。通勤の電車内でも他人が広げているスポーツ紙に目を向けないようにする。「だめトラ、巨人に連敗」なんて見出しを見ただけで腹が立つほど、くやしい。
テレビ中継も神経が休まらない。特に動転のときはハラハラ、ドキドキ。リードしていても、いつ逆転されるか不安でたまらない。だから、同点や一、二点のリードだと守備の時だけテレビを他のチャンネルに切り替える。攻撃のころを見計らってチャンネルを戻す。このタイミングがむずかしい。まさに"神業"である。
ラジオは特に精神的にまいる。「岡田、打った。大きい、大きい。入るか。センターバック、バック。あ、捕りました。惜しかったですねー」"喜ばして やがてがっかり ラジオかな"。とにかく表現がオーバーなのだ。見えないから余計にヤキモキ。これでは心臓によくない。ファンは"不安"に通じるとつくづく思う。 敗れると、むしょうに腹が立つ。まして逆転負けやサヨナラ負けをすると大変だ。家に帰っても口をきかない。絨毯が横にずれ、花瓶から花びらが一枚落ちていても"過敏"になり、ブツブツ。犬が帰りを歓迎して、しっぽを振り「わん、わん」ほえるが、「うるさい」と一喝する。「いつもは、なでてくれるのに、変だぞ。こんな気分屋はかなワン」と、いいたげに、きょとんとしている。無理もない。
だから、ナイターの日は帰宅してドアを開けると、いま試合がどうなっているかわかる。テレビの野球中継が聞こえればタイガースが同点か勝っている時だ。消えていれば負けているのだ。
S女子短大のO教授は私以上の入れ込みファンで、同じように相当リードしていない限り、タイガースの守備の時はテレビを消しているそうだ。だから、こちらが気になって帰宅途中、O教授宅へ電話で戦況を聞いても「ヒットを日本打たれたので消してますねん。あきませんなあ。攻撃になったらちょっと入れてみようと思うてますねん」という返事なのだ。
「今日は縁起をかついで通勤の道を変えたのですが。ソックスを左から履いたんですが」と縁起担ぎも相当である。
対大洋ホエールズ戦の応援でO教授と甲子園へ行った時のこと。いつもは早くから来ているのに、この夜に限り試合が始まってから、あたふたと駆けつけて来た。「実はコロ(鯨の皮)のある店を探してましたんや。なかなかみつからなくて、やっと買ってきましたよ。まずは鯨(ホエール)を食べんことには」といって、早速、コロをつまみに缶ビールで必勝祈願の乾杯だ。
同短大教授で学園理事長のHさんもO教授に劣らぬファンで、お互いに顔を合わすと「もうちょっとなんとかならんですかいな。あと投手が二人、それに大砲ももう一門欲しいですなあ」と愚痴になる。
二年前にH、O教授、T女性教授ら同学園の人たちと北京へ行った時のことである。誰言うとなく「中国では竜がめでたいしるし。竜がのたうっているように見える万里の長城で昇竜ならぬ"勝虎"を祈りましょう」と途中まで登り、全員で「六甲おろし」を合唱して鬱憤をはらした(昭和六十三年八月三十日)。もちろん、テープにも録音した。他の観光客がけげんな顔をしていたが。
先生からして、こうだから学生にもトラファンが多いそうだ。六十年の優勝の時は、学園内のあちこちから「六甲おろし」の黄色い歌声が聞こえた、との"ハンシン半疑"伝説まである。時々、学生もO教授らと、ハッピを着て、メガホンを持ち、甲子園球場の一塁側外野応援席に陣取って、黄色い声を張り上げるそうだ。
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実際、甲子園球場外野右翼席の、あの"指定席"でのトラファンの応援姿は、もうほとんど"阪神教熱"に浮かされた信者としか思えない。老いも若きも、ギャルもおばさんも鉢巻を締め、互いに腕を組み合い、声を張り上げ、黄色と白のメガホンを叩きながら連帯感で陶酔している。そしてラッキーセブンの見事なジェット風船上げ。勝敗を度外視した"阪神教信徒"のお姿がそこにある。
が、社会学的見地から観察すると、都会は「隣は何をする人ぞ?」の冷たいコンクリートジャングル社会(ゲゼルシャフト)、いつ孤独死するかしれない。互いに助け合う"村ぐるみの連帯共同体社会"であるゲマインシャフトを、ここに見出し、毎日の"イラストレーション"の鬱憤を晴らしているのではないか。
(平成二年「記者の思い出」)