中華そばと蔵のまち 喜多方市
グル麺で蔵シックなまち
◆ 蔵シック 観光馬車が走る
“まちおこし”がブーム。しかし、“たかが”ラーメンと蔵をキャッチフレーズに、この十数年で、“されど”観光客を十倍の五十万人に増やし、笑いがとまらないのが東北の入り口、福島県喜多方市だ。
「たまげたなもう」駅前に蔵型の観光蔵馬車がお待ちしているか、と思うと電話をかけようとすると蔵型のボックスだ。観光案内所がまた蔵型、コーヒーを飲もうと入った喫茶は赤煉瓦蔵、街を歩くとラーメンの匂いが春風に乗って流れてくる。「これには、びっくりしただな」。
もともと田舎には蔵が多い。しかし、このまちは飛び抜けている。戸数一万一千に対して二千六百蔵があるのだ。「まあ、見てください」と商工観光課の高橋英通・係長が案内してくれたのが五百五十年の歴史を秘める安勝寺。本堂は漆喰蔵型で黒瓦、明治の戊辰戦争のとき野戦病院になったそうだ。筋向かいにある真新しい蔵は、なんと会津信用金庫。建て替えた時、蔵型にした。郵便局も煉瓦蔵ならトイレまで漆喰蔵型の家が多い。
雑貨店前に「蔵をご覧になる方はどうぞ」とあったので覗く。なるほど家財蔵、商品蔵が三つ、トイレ蔵も。まちのあちこちの民家に作業蔵、商品蔵、座敷蔵、作業蔵…。市も負けずに蔵型公衆トイレを十ヶ所建てた。頭が“くらくら”するほど蔵尽くしの“蔵シックまち”になってしまった。
なぜ蔵尽くしなのか。明治十三年の大火で焼け野原になった。不思議に蔵だけ残った。火災に強い。これがヒントになって住居まで座敷蔵にする家が増えた。「おどこ(男)四十までに蔵のひとつも建てられねえでは一人前でねえ、といわれたのも拍車をかけたでしょうね」と高橋・係長は笑う。
泊まった笹屋旅館は美人画で有名な竹久夢二が二度訪れた老舗やど。ここの座敷蔵の戸は一人では開けられないほど厚くて重い土蔵造りだった。市は蔵ブームをさらに燃やそうと典型的な蔵を一カ所に集めた“蔵シック村”造りを始めている。
◆ 中華そば
ここでは「そば」といえばラーメン、いや中華そばを指す。日本そばやうどん店はあまりない。「みんな昔からラーメンといわずに中華そば、と言ってます。太めの、ちじれ麺で醤油味が主流です」と高橋さん。太めちじれ麺を考え出した蓮沼季吉さん(63)は「中華そば、つうとみな細いべした。太いのがあってもいいべ、と作ったら、うげだ(受けた)わけだな」。かくて二年前に三十軒だった店が“グル麺ブーム”に乗っていま百十四軒に増えた。
なぜ、このまちに中華そば、なのか。昭和二年に中国から来た潘欽星さん(83)が屋台を引いて売り歩いたのがルーツで、その店「源来軒」の前に由来が書いてあった。いま二代目が手作り中華を守っている。
「これといった、ごっつお(ごちそう)もない田舎ですから、そばを食べる習慣ができたのでしょう」と高橋さん。それに、十年前にテレビが“蔵のまち”として紹介するとき「そんなら、そばもセットで売り出そう」。これが当たったわけだべ。
水がおいしいのも、出し汁を演出している。創業二百年の大和川酒造の蔵の前には飯豊(いいで)山からの涌き水が、とうとうと流れ小川になっていた。
食べ歩きをしたが朝は七時からの営業でどの店もサラリーマンや子連れ主婦でいっぱいなのに驚いたべ。みんな田舎の食堂風で値段も四百円前後と手頃なのだ。肉そばはチャーシューメンのことで、冷やしそばは二日酔いにいいとか。
◆ 中華そばの日
数年前から四月七日(しなそば)を中華そば、の日とし、市民挙げて“まちグル麺”で“まちおこし”に懸命。たかがラーメンというなかれ。今や“中華そば”は、まちおこしの旗手だべ。
(九十年三月三日「味・湯・旅」)