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 メキシコのピラミッド群


▼ジャングルにピラミッド

 日本人にとってメキシコはアカプルコなどの観光地と強烈なラテン音楽マリアッチの国という印象が強い。が、ユカタン半島にかけてのジャングルにおびただしい数のピラミッドを造ったマヤ文明、そこに古代都市を築いたが、忽然と滅亡した不思議な国でもある。なぜ消えたのか?日本をはじめ、世界の学者がその解明に取り組んでいる。エジプトのピラミッドを見ると、やはり、次はメキシコへの思いがつのる。ピラミッドを見ようと中南米メキシコの旅に出た。

  ▼メキシコシティ 地震の被害は埋め立て地だけ

 首都のメキシコシティがすべての中心になる。人口1800万人の大都市だけに活気があった。しかし「5年前のメキシコ地震の時はまいりましたよ。マスコミは絵になる倒壊しマンションなどの写真ばかりを報道するので、全市が潰れたような印象を与えてしまい、1時は観光客も減りました。本当は、昔、湖だった地盤の弱い地区だけが大被害を受けたもので、市内の大半の被害は少なかったのです」と案内してくれた知人が苦笑した。確かに見る限り被害はそう感じない。  私自身、新聞記者をしていただけに赤面の至りだった。が、その時に取材していたら、やはり、写真になる部分をカメラで追っていただろうと思った。

▼軟弱地盤で大聖堂も傾く

 まず、アステカ、植民地時代、現代と3つの文化が見られる三文化広場へ行く。中央広場のカテドラル(大聖堂)へ。メキシコ総ての教会を統括する大教会で格調がある。67bの鐘楼も立派だったが、このカテドラルを離れて見ると、右に傾いている。この地はテスココ湖を埋め立てた場所なので200年の間に沈下したという。そういえば、有名なグアダルーペ寺院の旧教会堂も右に傾き、現在は使用していない。
広い境内ではインディアンスタイルに変身できる貸衣装商売が人気のようだった。郊外タプルテベックにある国立人類学博物館もぜひみておきたい。入り口に雨の神トロラックの大きな石像があり、これから訪れようとするテオティワカン遺跡室、マヤ室などメキシコ遺跡からの出土品や模型などが展示されていて参考になる。

▽テオティワカン遺跡

 さて目的のピラミッドめぐりを始めよう。メキシコ最大の宗教都市だったテオティワカンはメキシコ・シティから東北50`にある。郊外に出ると低木のジャングルになる。1時間も走るとそびえ立つピラミッドが見えてくる。南北に4`伸びた「死者の道」の北端、正面に月のピラミッド、道の手前東からケツアルコアトル(羽毛の蛇・風の神)のピラミッド、太陽のピラミッドが並び、西にジャガーの神殿も。すべて石製でテオティワカン人が造ったとされるが、どこから来た人種かなぞ。紀元前100年から紀元700年にかけて栄えたとされるから、日本では弥生から奈良時代、20万人の都市があったという。奈良・平城京時代と同じ規模だ。

▼太陽と月のピラミッドは15〜21階ビル並み

 デーンと奥にそびえる月のピラミッドは高さが46b(15階建てビル)もあり、急な階段がついているが、標高2000bの地にあるので、すぐ荒い息になり、かなりきつい。頂上からは古代都市の全貌がよくわかる。血を好んだ月の神を祀ったという。
 太陽のピラミッドは月より高く65b(21階建てビル)だから、下を見ると足が震える。どちらも上には神殿が建っていて雨乞いなどで生け贄を捧げて祈ったとされる。 太陽の神殿は年に2回、真上に太陽が来て、まばゆく輝く。死者の道も含めて北から東へ15度25分傾いていて太陽の運行と関係があり、その名が付いたのだ。
 ケツアルコアトルのピラミッドは牙をむいた獅子のようなケツアルコアトルと両手で水を湧き出させている姿のトラロック(雨に女神)の彫刻で飾られている。
   古代の匂いのする風に吹かれながら大井邦明著『消された歴史を掘る メキシコ古代史の再構成』の古代都市成立を説明したくだりを思い出した。

▼王を葬った上にピラミッド

  「太陽と月への神殿が築かれた。そこは神事祭事の場であった。最高神官が選ばれた。そこはデオティワカンとよばれた。王たちが死ぬと埋葬され、その上にピラミッドが築かれた」。

▼パレンケの遺跡

 空路1時間でビヤエルモーサに着く。ここから150`、ジャングルの中を車で走ると、山にへばりつくようにしたピラミッド群が。低地なので蒸し暑い。マヤ文明で最もすばらししい遺跡の1つと聞いたが、確かに精巧な造りだ。密林の中でまず目に入ったのが「碑銘の神殿」ピラミッド。急な石段を69段上がる。上はマヤアーチになっていてマヤ文字もたくさん刻まれていた。内部の階段を下りると暮室で石棺があった。

▼ヒスイの面をかぶった王のミイラ発見

 51年前にアメリカの学者アルベルト・ルスが発見したもので、ヒスイの面をかぶったパカル王のミイラと殉死した6人の遺体があったという。パカル王は683年に80歳で死んだことも碑文の解読でわかった。階段の数は王の在位年数になっている。
 横に立派な宮殿。横92b、縦73b四方で4つの中庭があり、水洗トイレやスチームバスまであった。奈良時代に早くもこんな施設が造られたとは驚くばかり。4階建ての塔には金星を表す絵文字が刻まれ天文台だったとみられている。

▼火星人が降り立った?

 どれもテオティワカンより小さいが、構造ははるかに高度だ。特に石棺に描かれていた図はマヤの神官が宇宙船を操縦しているようにも見えるので、パレンケに宇宙人が舞い降りたのでは?とまことしやかに語られているとか。

▼ユカタン半島のピラミッド

 空路40分でユカタン州都のメリダへ。「白い都」といわれているように白い建物が目に付き、50万都市の活気があった。バーで飲んでいたら流しのマリアッチ(メキシコの民族楽団。各種のギター、バイオリン、トランペットで編成)がやってきたので、「ベサメムーチョ」などをリクエスト。本場で聞くラテンは心も踊る。
 夜、散歩した。毎夜、どこかのソカロ(広場)で音楽会が開かれると聞き、サンタルシア・ソカロへ行ったら軽快にラテンリズムの演奏だった。

▼チョウの死骸で車のガラスが曇る

 イグアナも走る
 翌日から遺跡めぐりに。まずウシュマル。南へ80`車を走らせた。広大なジャングルの中の1本道。チョウが乱舞していて「バシッ、バシッ」とフロントガラスに当たり、すぐ死骸で前が見えなくなる。この自然はすばらしい。やがて角錐のピラミッドが見えてきた。小人が一晩で造り上げたという伝説の「魔法使いのピラミッド」。高さ26bだが、垂直に近い118段を登るのは大変だった。上からは「僧院」「総督の館」のピラミッド、その先に樹海が広がっていた。イグアナを4匹も見た。感動的だ。

▼階段の数が365 春分に蛇の影がのたうつ

 チェチェンイツア遺跡はメリダ市から東に120`。真ん中にそびえる角錐は「エル・カスティージョ」。「城」の意味だが、ククルカン(羽毛の蛇)のピラミッドとも呼ばれている。高さ23bで4カ所に階段があって上がり口に石製の口を開けた蛇が2匹ずつ。1カ所の階段が91段、基底を合わせると、365段と1年の日数になる。しかも春分と秋分の午後4時ごろ、階段に影ができ、頂上にかけて羽の生えた蛇がのたうつ姿になるという。近くにドーム型天文観測台の「カラコル」もある。
 これまで見てきた遺跡は、すべて日本の弥生時代から奈良時代に造られたものだが、そのころ、既に天体観測をし、暦を作っていたいたというから驚きだ。

▼生け贄の心臓を載せたチャクモール

 「戦士の神殿」ピラミッドがまた、すばらしい。ここに人間の顔をした「チャクモール」という石像があった。腹の部分が皿のようになっている。神への生け贄として人間を殺し、取り出した動いている心臓を載せた台だったのだ。球技などで勝ったチームのキャプテンの心臓を捧げたといわれる。

▼泉に生け贄の遺骨42体

 近くにあった池は「セノーテ」(聖なる泉)で、干ばつが続いたりすると、雨乞いで生け贄を投げ込んだという。あるアメリカ人が調査したら21人の子供と21人の大人の骨や装飾品が沈んでいたそうだ。

▼消えた宗教都市のなぞ

 これらのジャングルに栄えた宗教都市は奈良時代前後にすべて消滅したが、なぜか。大井邦明氏は、テオティワカンの場合、広域経済で成り立っていた大都市が、突然、地方都市との流通が途切れ、危機を感じた住民が去った、とみる。

▽毒キノコを食べさせて麻痺、心臓を摘出?

  『マヤ人の精神世界への旅』の著者、宮西照夫氏は著作の中で、マヤ人は時の円が1回転すると、すべてが終わる暦を信じていた。それにマヤの神官は毒キノコを食べて幻覚症状になって世紀期末を予言し、住民が都市を捨てたのでは、と見ている。
 また神に生け贄を捧げたが、これも毒キノコを食べさせて麻酔状態にして心臓をえぐり取ったのではないか、とみている。宮西氏自身も現地で毒キノコを食べて幻覚症状になった体験をしているので説得力がある。  いずれにしても、ピラミッドを造り、天文観測をし、ようしゃなく神に生け贄を捧げたマヤ人の行動をどう評価すればいいのか。


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