昭和30年7月の新聞会白山登山の写真です。吉原先輩秘蔵のものです。会員諸兄姉でこの写真に関しなんでもよろしいですから、思い出などお気づきの点があれば、MLあるいは、HP管理人までメールで書き込み下さい。コメントとして追加いたします。画面をクリックすると拡大します。
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白山へ挑戦 岩間温泉/山崎旅館前 鈴木先生 「白山に挑戦」を見ていろいろ思い出す。草鹿は痔が悪くジシンをなくして不参加。そもそも標高2702bの白山・弥陀ヶ原でソフトボールをしたのは白門チーム以外世界的にもいないギネスものだろう。ハイマツの枯れ枝でボールを打った。空気が軽いので良く飛んだ。が、気圧が低く、80度で沸騰してしまい飯ごうの メシは半煮えだったがうまかった。
弥陀ヶ原の鈴木先生の若いこと。山本は今、糖尿と胃の半分切除とかで苦しんでいるが、当時はエネルギーの固まり。指揮をとり、トランペットを吹く孤軍奮闘で新聞会主催の怪しげなるダンスパーティーをして新聞発行の資金を稼いだ。草鹿をはじめ、広告取りで頑張った。新聞会が潰れなかったのは、こうした涙ぐましい努力があったから、とつくづく思う。特に草鹿が毎日放送営業局幹部として活躍した下地がここにあったと信じる。渡辺は「キジを撃つ(草に隠れて用便をする)と爽快だ」キジばかり撃っていた。小生もこうした挑戦エネルギーと仲間に支えられて朝日1号記者として活躍できたと思っている。以来、朝日には30人余り入社し、社会、学芸、運動、経済、科学の各部で活躍している。特に大阪社会部の幹部の狩野やアエラで韓国問題 を書いている小北も金大法だ。(吉原)