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デモへ参加


●広坂通りのデモ

 当時のデモはヘルメットもゲバ棒もまだなかったが、それでも始めてのデモには緊張したし家庭教師先の小母さんからは説教をされた。一般学生も自治会の呼びかけに応じて適宜一緒にデモ参加をしていた。最近の学生にはデモなどはもう「死語」になっている。

6月3日(土) 昨年ど同じようなケースで、また政暴法が衆院で強行採決された。金大教養部自治会でも1時半から抗議集会開いたが、3時からデモに移った。新聞会の他の連中と前部にいたが、いつのまにか辻さんと最前列に出ていた。昨年より激しいジグザグデモとか。デモ隊の人数に比べK官も多く、機動隊も待機していた。K官にぱくられかけた。10mごとに立っている。執行委員長には私服がついていた。デモ隊には鉛筆のキャップのようにK官が取り巻きジグザグをやるたびに激しくぶつかる。労働会館前ではシュプレヒコールに県評がスローガンと赤旗を垂らす。この箇所のジグザグがひどくもみ合った。
それにしても反動政策と資本主義体制下にある学生・労働運動など難しい問題だ。バイト先のおばさんに説教をされる。

6月4日(日) 北信越学生新聞総会が福井大学学芸学部心理学教室で開かれたので新聞会に一員として参加した。一般的に政治問題の意識が低かった。全学連と全自連の対立点など現況不足がたたる。議論のための議論ではつまらないし。

6月6日(火) 安保防止、県評総決起大会。金大のデモにバイトのため参加出来ず。

6月7日(水) 母から手紙が来た。金沢に母の伯母の婿の妹にあたるから会ってはとの事。Kという人で3回ほど人に聞きやっと家を見つける。歓待された。話の内容が、京城の話、鳥取駅前の田圃の話などかなり昔の話題でテンポが合わない。 隣の部屋に、市川氏が入る。

6月10日(土) 映画『北北東に進路を取れ』、『許されざるもの』。60円。まあまあ。

6月12日(月) 学校から6時半帰宅。家庭教師のバイト。洗濯、風呂、夜食。今11時半。典型的な1日。

6月15日(木) 今日は奨学金、13,500円が出た。授業料4,500円。寮費2,700円。下宿代17,00円。画材費700円。すぐに金は出ていく。

6月28日(水) 市川氏京都周りの鈍行で東京から帰沢。雨のために送れ朝4時着とか。みやげに米原のパチンコで勝ったピースと横浜で入手したVictory。
市川氏の部屋から窓をの外の月を見て「きれいだ」の連発。やがて雲に消されて、その後雨。

6月30日(金) また雨が降ってきた。関西から関東にかけて凄い豪雨だ。しかし、下宿は台地なので大丈夫。 中野重治の「歌の別れ」を読む。四高生活がよく描かれている。

 高校時代からひきづった淡い恋心とか、友人との手紙の交換などの断片も記述してある。ここでは、新聞会や当時の学生生活に関連のあるものについて抽出した。


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