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▼一帯は淀屋の敷地だった 市役所の向かいが日銀大阪支店だが、植え込みに明治4年に郵便が始まった時の関西ルーツ「大阪郵便役所跡」。淀屋橋を渡ると「淀屋の屋敷跡」。江戸時代の豪商でなんと付近7万平方bもの土地持ち。敷地内の堂島に青物市を開き、自分の姓を付けた淀屋橋を架け日本初の米セリ市を開設した。その様子がレリーフに。304年前のことだが、唯一の米セリは全国が注目。結果は旗を振り、それを神戸・須磨「旗振山」や京都・天王山で遠めがねを覗きキャッチ、更に旗で全国へ“旗信号リレー”したという、にわかに信じられないのどかな話。 ▼文教の中心地で最初の種痘所 東側は“日本生命村”で関連ビルが並ぶ。一角に「懐徳堂跡」の碑とレリーフ。徳川時代の学校として名高く、140年間続き明治2年に閉鎖された。木造のクラシックな愛珠幼稚園は221年前に開園した大阪初の幼稚園。明治34年に銅座(江戸中期、銅の精錬、集荷をした役所)の跡の現在地に移転してきた。近くに財団法人洪庵記念会緒方ビル。「除痘館跡」のレリーフがはめ込まれている。緒方洪庵が日本で初めて種痘をした歴史的な所。近くの洪庵旧宅兼適塾は自宅兼私塾として蘭学を教えた建物で町家の面影を残す。一帯は文教村だったのだ。 ▼地名のルーツが北・南御堂
イチョウ並木が揺れ、さわやかな風が体をくすぐる。愛日小学校を探したら駐車場になっていた。時代の流れは激しい。やがて“お西さん”の「北御堂」。北と南の両御堂を結ぶ道なので、関市長が「御堂筋」と命名した。 (元朝日新聞編集委員 吉原 暢雄)
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