表紙へ戻る   ギャラリー  NEXT


 御堂筋散歩C

 朝日友の会で発行している「アサヒメイト第285号」平成13年12月1日号(発行所/朝日友の会事務局)から転載。

▽岡田心斎にちなむ心斎橋

 御堂筋も長堀通を越すと1筋東の心斎橋筋に足が向く。長堀川を開削した岡田心斎が木橋を架けたのが由来。明治6年(1873)、ドイツ製の鉄橋に、同42年に石橋へ。昭和39年、川の埋め立てで陸橋として残した。18年前にガス灯のある階段を上がって渡ったのが懐かしい。

▽昔、ヂャズ流れモボ・モガ歩く

 心斎橋筋商店街振興組合発行の「心ぶら日和」5月号によると、江戸後半から大阪を代表する繁華街に。特に大正から昭和にかけてモガ(モダンガール)やモボ(モダンボーイ)などを意識したハイカラ店が増え“心ぶら”の流行語も。昭和5年に「心斎橋行進曲」が登場。「♪花のパリジャンが紅つけて カクテルとギターがキッスする ヂャズよ…」。今はカップルが腕組みし平気で“キッス”する。オープン式コーヒー店など近代的店が増えた。“ヂャズ”でなく、刺激的現代音楽が流れ、「チンジャラ」音やゲーム音、巨大な竜の看板…。シュンペーターのいう“創造的破壊”?。現代のオールドモボは嘆く。ああ“心砕橋”よ。

▽大丸・そごう競ってこそ

 さずが人の流れは多い。時計店横の東筋に場違いなほど静かな小路が。朱色の緋毛せんを敷いた床几(しょうぎ)が2つ。呉服・宝飾など10数店が並ぶ。「老舗がほとんど。得意先は減ってますが、取り残されないようリニューアルし、新しい和風調を出そうと懸命です」と呉服「喜鈴」2代目主人。「心ぶら街」と呼ぶ。百貨店「そごう」は出直し「準備中」。風格ある建物は村野藤吾、隣の「大丸」はヴォーリーズ設計で双方とも昭和の名建築。競い合い心斎橋の繁栄に貢献した。そごうの再生が待たれる。
  (元朝日新聞編集委員 吉原 暢彦)


表紙へ戻る   ギャラリー  NEXT