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1300年前を偲んで 太安萬侶墓探訪
朝日友の会で発行している「アサヒメイト第291号」平成14年6月1日号(発行所/朝日友の会事務局)から転載。
▼歴史を書き換えた茶畑の改植
「太安萬侶(おおのやすまろ) 」といえば、奈良時代に日本最古の歴史書「古事
記」を編さんした学者で有名だが、住んだ地など不明な点が多かった。その墓が奈良
市郊外で出土、古代史を書き換える発見と大騒ぎになったのが昭和54年1月。今は
墓地公園としてハイクコースに入っている。23年ぶりに訪れた。
近鉄奈良駅から北野(下水間)行きバスで30分(本数が少ない)、田原横田下
車、北へ1`。大和茶の産地で田圃と茶畑の間を歩く。此瀬町集落のはずれ、「史跡
太安萬侶墓」の表示から茶畑を120歩登ると、直径4・5bの円墳に。出土した
珍しい墓誌写真を付けた説明板がある。
▼ヤブから“たちょうしん”
大発見のきっかけは、竹西英夫さんが新種の茶「ヤブキタ」に改植中、木炭が出
土。骨入り木櫃(きびつ)と「太 朝臣(注・敬称=あそん)安萬侶」と彫られた鉛
板の墓誌(縦29×横6a)」も。「たちょうしん…」と読み首をかしげた話を当
時、本人から聞いたのを思い出す。“ヤブ蛇”ならぬ“ヤブ墓誌”か。
▼御陵めぐりハイク
そばの竹西さん宅で再会、元気な85歳は「傾斜が急で機械が入らず、クワで掘り
起こしていたんですわ。何が幸いするか」と笑った。墓誌には没日を「養老7年(7
23)7月6日」、「従四位下勲五等」、「左京四條」と居所まで彫られていた。日
本で墓誌の出土例は18と少ない。
東北200bに光仁天皇陵(781年没)、南西4`に、その父君、春日宮天皇陵
(志貴皇子・715年没)があり、当時、一帯は高貴人の「ネクロポリス」(死者の
都)だったのだろう。(元朝日新聞編集委員 吉原 暢彦)
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