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 島津資料館から高瀬川


 朝日友の会で発行している「アサヒメイト第301号」平成15年4月1日号(発行所/朝日友の会事務局)から転載。

▼ノーベル賞で記念館が観光コースに

 島津製作所(京都市)の社員田中耕一さん(現在フェロー)がノーベル化学賞を受 賞し、同社の株まで上がって話題になったが、同市中京区木屋町二条南の「島津創業 記念資料館」(075ー255ー0980・大人300円、水曜と年末年始休)も脚 光を浴びている。創業の地に明治20年代に建設された本社・工場で木造2階建ての クラシック建築。「ここですよ!今話題の資料館」の看板も登場、昨秋の受賞決定以 来、全国から観光バスが次々やってくる。「初代島津源蔵が1875年、この地で教 育用理化学器械の製造を始めた」と案内書にあるが、実験教材をはじめ、日本初の有 人水素気球(写真)、ジーエス蓄電池、世界初のX線テレビなど、創業以来の世界 初、日本初の製品の実物や写真がずらり。当然、「田中コーナー」も出来てノーベル 賞メダルと賞状の写真、本人の業績の紹介、受賞対象の質量分析装置の写真などが展 示されている。

▼賞の源流は日本海海戦で活躍した「蓄電池」

 もう一つの注目が明治38年(1905)6月20日付けで東郷平八郎・連合艦隊 司令長官から軍艦「和泉」に贈られた感謝状。桜井茂男・館長によると、明治38年 5月27日のロシア・バルチック艦隊との日本海海戦で、敵艦の状況を旗艦「三笠」 に克明に打電したのが「和泉」。その電源が2代目源蔵の開発した強力な「ジーエス 蓄電池」(源蔵島津にちなむ)だった。外国製蓄電池を使った哨戒艦などは電池が弱 く、十分に作用しなかったので、ロシア艦隊殲滅陰の功労者は源蔵だったというわ け。当時の「和泉」機関兵が電池のルーツを知って感謝状のコピーを寄贈してくれた という。庭に初代源蔵誕生100年に建てた碑「源遠流長」(創業以来の島津の事業 は川の流れのように発展する)。独創精神は128年の歴史に脈打ちノーベル賞につ ながったといえよう。

▼高瀬川沿いに藩邸跡や志士邸跡の碑

 記念館そばが森鴎外の「高瀬舟」で有名な高瀬川北詰め「一之船入り」(船溜ま り)。慶長16年(1611)角倉了以が開いた運河。ここから鴨川の水を引いて伏 見まで10`。長さ13bの「十五石積み」の引き舟が木材などを運んだ。両側に材 木商が集中し名残が現在の木屋町。旅館や料亭もあって幕末に勤王の志士が密会に利 用、志士の居宅跡や藩邸跡の碑が当時をしのばせる。 (元朝日新聞編集委員  吉原 暢彦)


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