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 シャープ歴史ホール/技術ホール


 朝日友の会で発行している「アサヒメイト第336号」平成18年03月1日号(発行所/朝日友の会事務局)から転載。

「シャープ」といえば熟年には「シャープペンシル」が懐かしい。が、それは初期のことで、今では液晶、太陽電池関連商品など幅広く“オンリーワン”を目指し研究開発が進んでいる。奈良県天理市にある同社の「歴史ホール/技術ホール」には、創業者、早川徳次(1893〜1980)の遺影が飾られ、これまでに開発された世界初、日本初の“オンリーワン”がずらり並んでいる。

★シャープペンシルの発明で軌道に

早川徳次は苦労人だったが、天性のひらめきがあり、“発明王”と言ってもいい。2歳で養子に出され、小学生の時に錺屋職人のもとで7年7ヵ月の年季奉公をし、兄らと民家を借りて金属加工業を起こし、大正元年(1912)18歳でベルトのバックル「徳尾錠」を発明、23歳で「早川式繰出鉛筆」(後のシャープペンシル)も発明、社名を「早川兄弟商会金属文具製作所」と改め、欧米向けにシャープペンシルの輸出をはじめた。そのシャープペンシルも単なる“ペンシル”だけでなく、ハサミや体温計付きなど、細かい工夫がされているのに感心。

★関東大震災にめげずずラジオ開発

しかし、不運が襲う。大正12年(1923)9月1日の関東大震災で家も工場も家族も失った。東京での事業再開をあきらめ、同年12月、大阪に移り、西田辺に早川金属工業研究所を設立。ラジオ放送が始まると聞いてラジオ研究を開始、同14年、国産第1号の鉱石ラジオセットの組み立てに成功、販売を開始した。当時、3円50銭だった。この年、ラジオ放送も始まったので先見の明があった。
また昭和6年(1931)には早くもテレビの研究に着手、26年にテレビ受像機の試作に成功、28年、わが国初のテレビ受信機の量産を始め、白黒テレビの発売を開始。同12年には私立早川商工青年学校を設立、ヤング技術者養成にも力を入れた。

★「真似される商品を作れ」が持論

昭和45年に「シャープ株式会社」と社名を変更、LSIの量産を開始。早川は“真似される商品を作れ”が持論だった。「真似される優秀な商品を作れ」ということだろう。 シャープというと「電卓」が忘れられない。世界で初めて液晶を表示装置に使った電卓が昭和48年に発売されたが、新聞社で世論調査を担当すると、その集計に「がちゃがちゃ」と手動の計算機を回すのが大変だった。発売された電卓が“神様”に見えた。
シャープのワープロ「書院」を朝日で配備された時は「何と便利な物が出来た」と感心した。“バックルに始まって太陽電池関連まで”発展した「歴史ホール/技術ホール」を見学すると進歩の“シャープ”さに感心させられる。
社員が丁寧に案内してくれるが、歴史ホールの最初に、動くシャープペンシル生産工程の模型などがあって実際に動かしてくれる。
同ホールは奈良県天理市櫟本町の同社技術本部内にある。必ず予約(0743−65−0011)。休館は土・日・祝と会社休日。JR・近鉄天理駅からバス15分。タクシー1500円前後。(元朝日新聞編集委員 吉原暢彦)


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