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 始まる三毛作

 月日の経つのが早く感じられるこのごろだ。この間、たくさんの同僚や知人から「朝日定年激励会」をしてもらい、第二の職として関西外大広報課に勤務した。と、思っていたのに、もう六年経過して、この六月で第二の定年を迎えた。
振り返れば、学生対象の「外大通信」などの仕事と、朝日新聞時代にレジャー担当編集委員をしていた経験を生かし、トラベルライター、レジャー評論家の肩書でスポーツ新聞などに関西の散歩道の紹介や国内外の旅行記を新聞、雑誌に寄稿。時に経済クラブやライオンズクラブ、公民館の講座、大学で講演したりと二足の草鞋をはいていたから早く感じるのも当然だろう。
気付いてみたら「六十五歳」という大きな歳になっていた。よし、これからは、自由な世界を飛び回るなど、気ままな余生を、と考えていた。
ところが、大阪市内の短期大学から誘いを受けた。考えた末に、観光学科だから、何とかなるだろう、とOKした。
わが郷土・石川県出身の哲学者、西田幾多郎・元京大教授は「僕の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして座した。
後半は黒板を後ろにして立った。黒板に向かって一回転なした、といえば、それで私の伝記は尽きるのである」と書いている。
大哲学者の生涯は極めて簡単かもしれぬが、凡人記者上がり生涯は「絶対矛盾的自己同一」人生の連続である。
特ダネを抜かれ、アユを取れずにあがった鵜みたいな顔をして社会部の隅で小さくなっていたり、大特ダネをものにして「♪特ダネは歩いて来ない だから歩いて行くんだよ…あなたの書いた特ダネにゃ 涙の花も咲くでしょう」と「替歌」を作って口ずさんで自己満足したり。「何でこの歳になって、ギャルやジャリ学生のお遊び大学祭などを取材しなければならぬのか」と愚痴をこぼしたり。平凡ながら複雑な伝記になる。いや、三毛作が始まるので「伝記」はまだ続くのである。          (「加能人」九六年六月号)

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