奇襲“鶏鳴作戦”議場大混乱 鶏40羽迷走
「コココ、コケッコー」時ならぬ“鬨の声”が聞こえだした。ここは養鶏場ではない。神聖なる北九州市議会議事堂・本会議場だ。議員もあっけにとられている。あわてて事務員数人が飛び出して鶏を必死に追いかけるが、悲鳴を上げながら議長席を中心に逃げ回る。その数四十数羽。首に「首切り反対」「私の首を絞めないで」「谷市政打倒」などと書いた札をぶら下げている。まさに“こっ鶏”な風景である。全部“逮捕”するまでに二十分以上かかったが、鶏糞が散らかり、それを掃除するのにまた時間をついやした。
昭和四十三年(1968)三月二十五日正午過ぎのことだった。この“鶏鳴騒動”は市政合理化法案に反対する組合側が少しでも成立を延ばす抵抗「鶏乱作戦」だった。
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珍無類、落語のネタになりそうな鶏乱作戦までには、いろいろな背景がある。
北九州市は前年の四十二年二月の市長選挙で中央から送り込まれた保守系の谷伍平・前国鉄新幹線局長が吉田法晴・社会党市長を大差で破り、八年間に及んだ革新市政にピリオドを打った。
谷市長が三月に就任すると、自治省から松浦功氏(公務員課長・後に参議院議員になる)を招いて助役にした。文部省からはT氏(後に文部次官となり、リクルート事件にからむ)を招いて教育長に。また財政、病院の両局長など次々と中央から呼んで体制を固め、革新市政時代のウミを出す荒治療にかかった。
その六月に大阪本社社会部から、西部本社社会部(北九州市小倉区)に転じ、秋から北九州市政を担当した.それまで大阪市政担当だっただけに、吉田革新市政時代のルーズさには、あきれていたのも確かだ。
なにしろ、三十八年に五市を合併して人口百万人の政令指定都市、北九州市を誕生させるに当たって、勤務時間は一番短い旧市に、給与は一番高い旧市に合わせたので、国家公務員より三十%も給与が高くなった。また、運転手に運転手手当、現金を扱う職員に窓口手当など、あきれた特殊手当が、なんと百六十種も支給されていた。
生活保護世帯は合併前後から急増し、保護率は一千人につき六十八人で、横浜市の十一倍と飛びぬけて高くなっていた。補助金などについては国は革新にはきびしいといわれたが、生活保護は基準に合っていれば認め、保護費を支給せざるをえない。そこで、かなり甘い審査をしていたきらいがあり、“保護世帯天国”の声も聞かれた.その証拠に当時、まだ珍しかったカラーテレビや冷蔵庫を持つ保護者世帯が発覚して新聞を賑わしたこともしばしばだった。谷市長らは革新市政が組合のいいなりになり、甘やかした結果と厳しく指摘した。この乱脈で財政は大赤字になっていた。
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谷市政はこれらの是正に大ナタを振るい始めた。第一弾が病院の清掃、給食などの単純労務を下請けに出し、二百七十人を整理する、などの合理化法案で、四十二年十二月議会に提案した.労組は病院ストや議会への反対請願、座り込みなどで激しく抵抗したが押し切られて可決された。
第二弾が特殊手当を三分の一にし、給与の昇給率を抑え、勤務時間を週に三時間延長するなど組合にとっては厳しい合理化案だった。当然、組合は猛反対し、法案を可決する日に三千人を動員して議事堂を包囲、議員らが議事堂に入るのを阻止した。当局は白腕章をした体格のいい男性を大量に動員して、これに対抗、警官の出動を要請。座り込みのゴボウ抜きにかかった。そのすきに、“鶏乱作戦”に出たのだった。
前日のこの作戦を労組のシンパから耳打ちされた私はカメラマンを呼んで待機していたので、実に“こっ鶏”ドジカルな写真が撮れ、夕刊一面トップを飾った.当時の記事の一部を再録しよう。
◆ 1人重体 14人けが
議事堂玄関のガラス戸は組合員が中からカンヌキで閉めているため、警官隊は入れない。「ペンチ部隊」と声がかかると、毛布に包んで用意していたペンチ、ハンマーなどが出され、ガラスが割られ、警官隊がどっと議事堂へ。座り込んだ労組員をゴボウ抜きした。 当局が警官隊の活動に気をとられているうちに、議場の中から突然「コケッコー」「ココココ」とニワトリの鳴く声。(略)事務局員が追い回して捕まえたが、「あきれたことをする」と議員らはあぜんとしていた。
◆ 谷市長も全治1ヵ月の重症
この時の抵抗の激しさは「警官隊による座り込み排除の際、けが人がでた。(略)五十七歳の女子労組員がショックで倒れ、脳出血で重体になったほか、十四人がけが。警官二人も軽いけが」と報じた新聞の記事によく表れている。
肝心の谷市長は六日前の十九日に労組員らに囲まれて揉み合いとなり、背広のボタンをちぎられ、ろっ骨骨折などで全治一ヵ月の重症の診断で本会議に出席できなかった。
谷市長が東海道新幹線支社長だったのをもじり、“谷・松(助役)合理化新幹線”といわれたほどのスピード改革に、「性急すぎる」との批判も出て“しんかん”とし、組合側の予想以上の抵抗で未曾有の混乱になったことは確かだ。新幹線もスピードのみを競うのは問題という教訓を示したともいえるかもしれない。
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◆ 哀れ鶏は“廃鶏”に
事後談がある。翌日、組合事務局へ耳打ちしてくれたお礼に行くと、炊事場から時ならぬ「キーキー、コココッー」と鶏の悲鳴が聞こえるではないか。のぞくと昨日“活躍”した鶏を料理していたのだった。「水だきに一羽よか」といわれたが、さすがにその気になれなかった。哀れ合理化闘争の先兵として“活躍”した鶏も最後は“廃鶏”になった。
「苦笑いして、やがて悲しき鶏乱かな」
三池炭鉱闘争などで激しい戦術をとってきた荒っぽい九州男児だが、これほど気質がストレートに出た公務員闘争も珍しいだろう。(昭和六十一年九月十日発行「西部社会部 こもごも五十年」に大幅に補足)