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 「怒り23号」到着

 最近の新聞は見出しで、読まそうとシャレる。とくにスポーツ新聞がおもしろい。「綱渡りの一笑(一勝)」「××投手よ 頭球術を覚えろ」「阪神、竜飲」「阪神 見事捕鯨で(当時の球団名は大洋ホエールズ=鯨)3連笑」「阪神 快神撃」といった調子だ。
 お堅いといわれる朝日新聞も「千代の富士 ちょっと一服」「花博、開幕までカウントダウン三日 ゴンドラダウン」(試運転中にゴンドラが故障)などと、やりだした。
 そこで、しみじみ思い出すのは昭和三十九年十二月十九日夕刊に書いた記事。前夜から宿直、社会部で事件待機していたところへ、午前三時すぎに「新幹線のダイヤがえらく乱れているらしい。取材してくれ」といわれてカメラマンと新大阪駅へ。
 原因は架線の故障。ダイヤはメチャメチャ。なかなか到着しない。待つこと久し。やっと午前五時二十分に東京から十一時間半かかって超特急「ひかり23号」が到着した。それっとばかり、降りてくるお客から、車内の様子や感想を聞き始めた。が、みんな、疲れてうんざり気味。怒った表情で、もくもくと出札口へ急ぐだけ。東海道新幹線が開通したのが二ヵ月前の十月一日。日本の誇る技術の固まりで「安全で大阪〜東京間三時間十五分」とスピード革命をキャッチフレーズにしてきただけに、国鉄に怒りが爆発したのも当然だった。
 苦労して数人から記事になる話を聞きだしたが「よし、乗客の怒りがポイントだ」と感じて次のように書いた。
 「三番ホームに着いた『ひかり23号』から次々に降りて来る約五百人の乗客はオーバーのえりを立て、むっつりした表情で階段を降りて行く。なにを聞いても『疲れてくたくた。これがスピードを自慢にする新幹線かね』といった声ばかり。まさに“怒り23号”の到着といった重たい空気だった」
 これが夕刊のトップになり「怒り23号 大阪まで十一時間 乗客五百人うんざり」という見出しに。こちらとしては、してやったりの境地。しかし、翌日、耳にした話では部長会で話題になり「ちょっとふざけた見出しではないか」という声が出たとか。今では「おもしろい見出し」だろうが、その当時は、まだお堅い感覚だったのだ。
 新幹線は当時、トイレのドアが故障して乗客が名古屋から東京まで“せっちん詰め”になるなどの事故が続いた。しかし、架線が故障したという技術的事故はこれが初めてだった。
   ×   ×   ×   ×
 当時、国鉄を担当していて新幹線の試運転列車に乗り、社会面に試乗記を書いた。京都まで二十分、その間に原稿を書き上げ、京都駅に停車する数分間の間に京都支局員に渡さなければならない。次の停車駅は米原なので夕刊に間に合わぬ。「あんまり速いのもこまるなあ」といいながら必死でエンピツを走らせた記憶がなつかしい。
 その書き出しは「大阪平野から近江平野へ、アイボリーホワイトとコバルトブルーのモダンなツートンカラーの列車が抜けていく。日本の鉄道技術の粋を集め、試乗した三百三十人の夢と喜びを乗せて…(略)これで名神高速道路と並んで“新しい日本の動脈”が動き出したのだ」。
「二ヵ月間モデル線区で時速二百キロから二百三十キロの訓練を受けたので自信はありました。蒸気に十八年、電車になって八年乗りましたが、今日の、こんな感激はありません。時代の変化を感じました」。「ひかり号」初運転機関士の喜びの声だった。
(平成二年「記者生活の思い出」)

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