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 モンブラン・TGV・パリ

 夏の終わりにモンブランに上がり、ジュネーブからパリまで新幹線・TGVに乗った。

◆ 三〇〇〇メートルを30分で上がる
 「こちらも異常気象で何十日も雨が降らなかったのですが、二日前から、天候が変り雨ばかり。気の毒ですね」とジュネーブを朝出発する時、知人が同情してくれた。が、スイスからフランスへの国境を越えるころから、回復に向かう。シャモニーの町に着くころ、ガスが消え、太陽が顔を出した。
 山は午前中が安定している。午後は上昇気流に乗って雲が上がってくるから、急ぐ。九時過ぎ、ロープウエーへ。単一区間では世界一長いそうだが、途中のプラン・ド・エギユ駅で乗り換えて標高三八〇二メートルのル・ピトン・ノール駅まで高低差二八〇〇メートルをいっきに三〇分でかけ上がる。降りてから、さらにトンネルと歩道橋を歩き、エレベーター五分で富士山(三七七六メートル)より高い三八四二メートルのエギュ・ド・ミディの展望台に出た。
 突然、目前に万年雪を"着"た、四八〇七メートルの、あのモンブランが立ちはだかっている。「わーすごい!」たいていの観光客が感嘆の声を上げる。その左へダン・デ・ジェアン、モンマレ、今井通子さんが登頂したグランド・ジョラス、グラン・コンバン、モン・ドランなどが屏風のように聳え、パノラマ状に広がっている。正直いって、モンブランは丸くてやさしい表情だ。槍ケ岳やアイガーの北壁のように鋭角的魅力に欠ける。そうか、モンブランに、あこがれたのは、その語感と万年筆の名前からだ。むしろ、グランド・ジョラスやダン・デ・ジェアンの方が角錐でけわしそう。
空気が薄いから頭がふらふらと"モンフラン"。心臓もどきどき。このまま、すーっと昇天したら「モンブランに死す」でカッコいいぞ。いや、本当は「モンブラン展望台に死す」だから、かっこよさ度も、がくっと落ちる。やっぱりまだ死ねない。休んで呼吸を整える。
他の群峰を圧するようにエンピツ型にそびえるグランド・ジョラスの北壁を眺めながら今井通子さんの登頂記『グランド・ジョラスの白い壁』を、もう一度読む。

  ◆ 実感伴う「グランド・ジョラス登頂記」
 マッターホルン、アイガーの両北壁に続き、この北壁を登って三大北壁を征服したのは十九年前の七月で、五日を費やしている。
 「見渡す限り雪の斜面、まるで空間に浮かんだ雲の側面を登るような錯覚に陥る」、腰半分が乗る岩角でビバークしたり、突然、雷鳴が響きだしたり、大粒のヒョウが叩きつける、などの苦難と戦いながらの登頂。山頂で、同じパーティの山男、高橋さんと結婚式を挙げたくだりがリアルに。山は、何も言わないけれど、荒々しい山肌にはロマンス、エレジーやエピソードが、いっぱい刻まれているのだ。

◆ シャモニーは老人目立つ避暑地
 標高一〇三七メートルのシャモニーは山岳村で避暑客らでにぎわっていた。フランスなどから来た人たいだろう。老人が目立つ。みんな犬を連れている。ジャパニーズも多いから、「おにぎり、お持ち帰り出来ます。ウメ入りにぎり一つ一〇フラン…うどん、そば、すぐ出来ます」なんて日本語の看板も目立つ。にぎりめし一つ三〇〇円とはなあ、と思わず、ため息が出た。
 この村は十八世紀までは、水晶採りや猟師などわずかな人がすむ山村だったのが、一七八六年にモンブランが水晶採りで猟師のバルマと医師、パカールによって征服されてから、登山基地、山岳リゾートとして発展、一九二二年から、町の名もシャモニー・モンブランに。
 それにしても、三十五年前の昭和三十年に、こんなすごいロープウエーを造った技術力に驚く。山岳観光に力を入れるフランスの熱意をみる思いだ。

◆ 速いだけのTGV
 東海道新幹線は二十六年前の一九六四年に営業を開始して、いま、時速二二〇キロ。フランス新幹線は、日本より十七年遅れたが一九八一年に、五〇キロも速い二七〇キロで運転を開始し、世界一の速度を誇る。スイス・ジュネーブ駅から乗車したが、正直いっていささか失望した。車体こそ流線形でそれらしいが、シートは真ん中から向かい合う固定型。日本のように進行方向に自由に回転できない。しかも、リヨンからパリまでが二七〇キロで、それまでは一般列車並の速度。車内販売もない。ビュッフェでビールを飲んだが、ちょうど目の位地に横に太い桟が走っていて目隠しのよう。
 ブドウ畑やヒツジ、牛が草をはむ田園風景、シャトウ(城)がぽつん、ぽつんと見える三時間半は、のんびりした異国情緒を楽しませてくれた。スイスからフランスへ国境を越えるのも面白い。リヨンからは確かに都会を走る"風の列車"を感じさせる。が、どうみても速度のみを競う"サイT(テー)GV"だ。細かいサービスなどがもう一つ。スピード以外では日本の方がはるかに上だと思った。「人は速度のみに生きるにあらず」といいたいところ。

◆ 昨今のパリを歩けば
 ビル、ゴルフ場から映画会社、プロ野球団、高価な絵画…なんでも買いまくるジャパンマネー旋風は世界の脅威になっているが、世界のどこでも集団で歩き回り、ブランド物を買いあさるジャパニーズ旋風も相当なものだ。久しぶりに訪れたパリで、強烈に、それを実感した。
 ドル並に日本円が通用するし、エッフェル塔でも、ルーブル美術館でも日本人がうようよいる。この私も、その一人だが。夜、ライトアップしたエッフェル塔へ上がった。夏は午前零時までエレベーターが動く。十時を回っているのにエレベーターは行列のにぎわい。一番上、二七四メートルの展望台からの夜景は、確かにきれいだ。セーヌ川に浮かぶ遊覧船、シャイヨ宮から凱旋門などビューポイントはライトアップされている。
 風に吹かれて「今年はフランス革命二〇一年か」なんて考えていたら、横で「凱旋門はどごだべ」「あれがセーヌ川でっか。小さな船が浮いてまんな」。パリの夜空の下、日本語の方言は流れるか。
 ひたすら歩いた。オペラ通り周辺で、「まてよ、おれは間違って心斎橋を歩いているんじゃないか」という錯覚をしばしば起こしそうになった。なにしろ「そば うどん」「よっちゃん」(九州ラーメン)「ひぐま」(北海道ラーメン)「なにわ」(うどん、そば)なんて看板がごろごろしているのだ。
 三越百貨店では日本食を中心にした店の一覧地図をくれる。ごていねいにフランス料理でも日本語のメニューがある店に丸をつける親切さはどうだ。ある団体さんは「やっぱり寿司か、うどんだべ」といって地図を頼りに出て行った。
 あちこち"パリぶら"をしていたら、フランス人女性ガイドの説明が聞こえてきた。「ニホンジンの憧れの、シキブトン、カケブトン、ルイビトンはココに売ってイマス。ドーゾ」、いささかショックで、こちらはルイ・ビビットンだ。
 負けられねえぞ。ジバン(地盤)、カンバン、ランバンか、ニューリッチ、アキラメリッチ、ニナリッチか。ブランド・ショップがイヴ・サンローランいや、タブン・(日本人なら)カウソーランの期待を込めて、店員ごとスマイルを見せて並んでいる。

◆ シャンゼリゼは愛で「燃えていた」
 コンコルド広場からシャンゼリゼを歩く。マロニエの並木道はやはりいい。燃えるような紅葉がきれい。風もないのにヒラヒラと、"イブモンタン"が肩に降りかかると、自然に、あの「枯葉」をハミングしてしまう。ベンチで休む。隣も、あっちのベンチも、そして歩いているカップルも「チュッ、チュ」やっている。「パリは燃えているか」と叫んだのはヒットラーだが、確かに、こいつは燃えている。革命で大衆が手にしたのは「自由、平等、博愛」と、動物のように、人前でも平気で"吐く愛"表現のできる自由らしい。来る度に車が増えている。
 ふと、永井荷風が一九〇七年にパリを訪れた時の『ふらんす物語』のくだりが浮かんだ。「凱旋門は激しい夕焼けの空を後ろにして物凄いほど濃く黒く聳えている。その下から真っすぐに、広々と、緩やかな傾斜をなしたシャンゼリゼの大道には、無数の馬車自動車の列が、目の舞うように動揺している」。当時は二頭だて、三頭だての馬車がパカパカと走っていたのだ。夢のよう。
 凱旋門に近づくと航空会社などが目立つ。日本航空の支店も。カフェで休む。サンドイッチにワインで、ぼんやり道行く人を眺めていると、声をかけられた。なんと先日、日本で顔を合わせたばかりの、サントリー大阪広報室のNさんではないか。オドロキ、モモノキ、オー!シャンゼリゼの鈴鹿家のスズカケノキだ。チキュウはキュウキョク的に、キュウクツになったぞなもし。オ・ルボワール!(さようなら)
(「イグザミナ」九〇年十二月号「地球を歩く」)

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