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 北インド紀行

◆ 霧のまちカトマンズ
 正月に北インドを旅した。デリー発のインディアン航空は一時間半でネパールの首都、カトマンズに着く。人口十五万人のこの町は標高一三四〇メートルと伊吹山より少し高い程度で、朝晩は寒い。町のどこからでもヒマラヤの山々が見えるので絵になる。朝は深い霧に包まれる。その中を天秤棒で荷物を運ぶ人が「ぬーっ」と出て来るとびっくりする。よく見ると路地裏で屋台の朝食を食べる人たちがいっぱいだ。
 表に山羊 裏に鶏 霧の飯屋混む
 夜外に出ると満天の星だ。空気が澄んでいるからだろう。ひときわ大きく、チカチカとこれぞ"星のランプ"だ。今夜はいい夢が見られるそうだ。
 ヒマラヤの星の 真下の 夢枕
 五体投地 ヒマラヤをまた睨んでは
 そんな光景にも出くわした。

◆ 生き神に会う
 この町の面白さは"生き神さま"に会えることだろう。カトマンズとは「木の家」の意味だそうだが、確かに寺院などは木造が多い。それも「日本の中世の大名屋敷を思わせるような造りである」(荒松雄「インド行」)。
 "生き神さま"の館の入り口両側には派手に彩色した獅子像が立っていた。手の込んだ彫刻をした門をくぐる。神様はクマーリと呼ばれ、"クマーリ館"という宮殿に住む。四角に取り囲んだ木造三階建て。入り口で二ルピーの寄付をし、中庭で待つ。やがて、正面三階の窓から、少女が顔を見せた。髪の生え際まで長く引いた、くまどりに見えるアイライン、サリーのような衣装、何ともあどけない"幼な神"だ。写真を撮らせないところがまたそれらしい。しかも"ちょっとだけ"の数分で姿をかくした。
 朝日旅の百科「インド・ネパール編」によると、このクマーリは、金銀細工師のサキヤ階級の四〜六歳の女児から選ばれる。均整のとれた足、丸い肩、長い腕など三十二の条件に合うこと。しかし、占星術師の判断した星まわりに合わないとだめ。こうして絞られた二〜三人の候補を真っ暗な部屋の中にいれ、血のしたたる水牛の首が置かれる。選考する僧たちが、部屋の戸を叩いて脅す。泣いたら失格。耐えた一人が、旧クマーリから蛇の形をした銀の首飾りを授けられ、新クマーリになる。
 クマーリになると、家族と一緒にクマーリ宮殿に移り、俗世間と隔離して僧によって生き神教育を受ける。宮殿から外へは出られない。そして"女"になると失格し、年金をもらって普通人になる。"白き神々の座"のふもとに"幼な生き神の座"があるのが面白い。

◆ 濁流に身を清め 初日を拝む
 ガンジス川はガンガともいう。ヒンズー教徒の聖地。特に元日の夜明けに、この聖水に身を浸し、汚れを落とす人でにぎわう。まったくすごい。まだ薄暗いのにガート(沐浴場)付近は、人、人、人…、いや人、牛、犬、猿、カラスでいっぱいなのだ。シュロの葉で作った大きな傘があちこちに立ち、その下でなにやら唱えている。バラモン(僧)が沐浴に着た教徒に説教しているのだ。清めの朱色の塗料を付けてやっているバラモンもいる。その向こうの舟にはたくさんのカラスが止まっている。  鳥影もまた初日待つ 行者傘

◆ 手漕ぎ舟は50ルビー
 「舟に乗らないか」と青年が四〜五人寄って来た。二〇〇ルピー(一千六百円)という。首を振る。もう一人が一五〇ルピーと来た。こうなれば、値引きゲームだ。思いっきり「五〇ルピー」といったら、首をかしげた。すかさず横にいた若者が「オーケー」。
 手漕ぎのおんぼろ舟は霧のガンガに漕ぎ出した。しばらくすると、サーッと霧が晴れた。とにかく壮観だ。七キロの間に二十はあるというガートにいっぱいの教徒が沐浴している。震える寒さなのに男はパンツ姿や"褌(ふんどし)"スタイルで。
 緊褌をみそなわすとも ガンガの神
 頭まですっぽり土色の濁流につかり、太陽に向かって手を合わせる。水を口に含む人や泳ぐ子供までいる。
 遂に潜泳の一頭 沐浴河岸
 女はサリーのまま浸かり、やがて、しとやかに手を合わせる。
 聖浴後の透き身 逆光サリーの中

◆ 荼毘に付して流す
 上流で煙が立ち昇っている。火葬するマニカルニカー・ガートで、まきを井桁に組んで荼毘に付しているのだ。ハイはガンガに流され、天国へ。この川は天界に通じている、と信じられているのだ。
 血縁の薪を投げあう 火葬河岸
 カラスの群れが鳴きながら飛んで行った。あの世への使者かもしれない。
 「ベナーレスのガートは、人間が神に憧れ、地獄が天国へ通じる、そのためのあらゆる営みが行われる場所」(「インド行」)なのだ。

◆ 空路40分をタクシーで10時間
 「そこには、躍動する性賛歌の歓喜仏が彫られた寺院がたくさんある」カジュラホの寺院の壁面彫刻について表現した案内書だ。実はそこへ行くのが大変だった。ベナレス発午後三時二十分のインディアン航空が大幅に遅れ、カジュラホ着は日没になるので降りられないため飛行中止になったのだ。
 やむなくタクシーで走る。いや、まいった。簡易舗装の道はでこぼこ。そこを八〇キロで飛ばすので天井で頭を打ち寝られない。真っ暗で強盗が出てもおかしくない。運転手は時折り、屋台でティーや酒などを飲んで眠気を冷ましては走るので、事故を起こさないか、とそっちも心配。山を三つも越え、空路四〇分のところを十時間もかかった。

◆ 圧倒される歓喜仏群
 なるほど、聞きしにまさるミトゥナ(男女合歓)像群だった。遠くから見ると、ブーゲンビリアの花が咲き乱れる間に、ピラミッド状の寺院があちこちに林立しているだけのよう。ところが、その寺院の外壁には精巧なミトゥナ像がぎっしり彫られている。一体これはどういうことなのか。
 実業之日本社発行「インド」などによると、これらの像は月の神の後裔というチャンデーラ王家が栄えた九〜十一世紀に建てられた寺院に彫られたもので、八十五寺院もあった。チャンデーラの人たちは密教の影響で、女性が神の力の化身と考えられ,神の力に接するために交合が信仰に適う行為と称えられていたから、という。
 「朝日旅の百科」によると、中世までのインド人の考えには、性へのタブーはなく、男女の交わりは労働、食事、祈りなどの日常生活と同列に扱われていた。むしろ、ヒンズーの一部の宗派では交合による悦楽が真の救済に達する精神的訓練と同じ次元で考えられていたとか。ミトゥナ像は悪霊や雷から寺院を守るとされていたとも。そういえば、カトマンズのパシュパテイ寺院にはシバ神の象徴のリンガ(男根)とヨニ(女陰)を祭った堂がずらりと並んでいたのを思い出した。
 このカジュラホの寺院群は偶像崇拝を禁じるイスラムのイスラムの支配下になって壊され、マンゴー樹林の中に埋没した。それが十九世紀になって発見され有名になった。今は小さな寒村にすぎないが、観光資源として、残っている二十二寺院を見にたくさんの人がやって来る。

◆ 17世紀の傑作 白亜のタージ・マハル
 カジュラホから空路四十分でアグラに着く。ここには、あのタージ・マハルがある。イギリス人が"白亜の夢幻"と表現したが、確かに、この建築はすばらしい、の一語に尽きる。モスクか宮殿のようだがムガール朝五代皇帝シャージャハーンが最愛の妃ムムターズ・マハルの死を悲しみ建設した墓なのだ。1630年から22年もかけ、インド産の大理石と赤砂岩のほかに、世界各地から集めた瑠璃、瑪瑙などの貴石を嵌め込んである。二人の間には十四人もの子が生まれ、マハル妃は産褥熱で亡くなった。
 皇帝はジャムナー川沿いにあるアグラ城の宮殿から、ちょうど正面に見える地に、このマハル廟を造り妃を偲び、いずれ対岸に黒大理石で自分の廟も建て、マハル廟との間に橋を架ける計画だったという。ところが、こんな贅沢をしたこともあって、内紛が起こり、皇子に捕らえられて、幽閉されて死んだ。皮肉にも結果的にマハル妃の墓と並んで眠ることになった。

◆ そこのけ お牛さんの"お通り"だ
 インドを回って感じるのは実に自然が豊富で、動物と人間がうまく共存していることだ。街の中でも牛が堂々と歩いている。自動車も止って"お牛さん"のお通りを待つ。交通整理のお巡りさんのそばで数頭の牛が寝そべっている風景なんかざらだ。もっとも、牛はシバ神の乗物で神聖なのだ。山羊や豚もうろうろしている。すきを見て盗もうとするから野菜売りのおばさんも居眠りができない。
 冬菜売る 聖牛が来て 首伸ばす
 猿も大きな顔をして走り回っている。国鳥のクジャクが街中を歩いている様なんか、優雅なものだ。  郊外に出ると荷役のラクダが隊をなして行くのに、よくぶつかった。車の音にびっくりして木から木へ飛ぶインコ、リスもずいぶん見た。なにより、どこまでも続く菜の花畑が見事だ。菜の花畑でモンシロチョウを追った子供のころを思い出した。

◆ タージ・マハルと牛糞燃料の落差
 しかし、と旅の間、首をかしげ続けた。いまから三百五十年も前、日本が鎖国への道を始めたころ、すでに、あの精巧なタージ・マハル廟を造った。最近では独自に核実験もやっているインドで、今も裸足で歩く人の多いこと、人力車のリクシャーやオートリクシャーが幅を効かし、牛の糞を干して燃料にしている。そして相変わらず壷を頭に載せて水くみをする女性…この落差をどう解釈したらいいのか。  広大な土地に七億人もの人口、「とにかく、この国が変化していくには、やはり膨大な時間の流れが必要」(「インド行」)ということなのであろう。
 牛糞は手運び 陸耕し 天耕し
 (文中の句は青玄主幹、伊丹三樹彦さん作)(雑誌「イグザミナ」八九年五月号「北インド紀行」)

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