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 「中国西南からチベットの旅」


▼成都からチベット・ラサへ

 中国・西南部・四川省の首都・成都からヒマラヤを越えて中国自治区チベットの首都ラサ(拉薩)を旅した。特にラサは富士山の9合目の高度だから、息切れで苦しむ。チベット仏教のメッカで、みんな尺取り虫のように五体投地で祈る姿は究極の信仰に見える。死んだら、ハゲワシに食べてもらって天国へ帰る鳥葬(天葬)の国だった。血圧が高めの筆者は「とんでもない国へきたぞ。滞在中に昇天したら大変だ」と心を引き締めた。ラサは「神のいる国」の意味だが、“天国に一番近い神の国”にはテンで、サラサラとは理解出来ない現実にぶつかった。なにしろホテルで“オウム真理教ご一行様”と一緒になったのだ(翌年、サリン事件を起こすなどオウム事件が発生した)

▼ホコリ高き成都 洗車を義務ずけ

 チベットへ入るにはネパール・カトマンズからの空路がある。が、上海から2時間半で成都、ここからヒマラヤ越えで1時間40分コースをとった。  まず成都。パンダが生息する四川盆地にあり、2400年前、蜀王が都をここに移した時「1年で市を成し、3年で都を成す」との意で名付けたという。「天から授けられた豊かな実りの地」という意味もあり「天府」とも呼ぶ。稲が黄金の穂を垂れ、街もあか抜けていた。  なにしろ市街に入るには洗車を義務づけているのだ。市営の洗車場に入ってバスは5元(75円)を払い、洗車証明をもらう。これがないと罰金という“ホコリ高い街”なのだ。ガイドのSさんは、成都大学の前を通った時「大学の技術も高くケ小平さんもこの大学まで歯の治療にこられます」と誇らしげに言った。

▼痩せこけた像が立つ杜甫草堂

 成都は蜀漢王、劉備や英雄、諸葛孔明らが活躍する「三国志演義」の舞台であり、彼らを祀った「武候祠」には長い髭をはやし威厳に満ちた英雄達の原色塑像がすらりと飾られていた。しかし住民が誇りにしているのは詩人、杜甫が住んだことだろう。放浪生活時代の48歳でここへ来て、わずか6年の生活だったが、240首の詩を詠んだ。「杜甫草堂」は広大な竹林に覆われた静かなたたずまい。杜甫は紀元759年から住んだ。杜甫の銅像があったが、痩せて三日月のようにしゃくれ“トホウ”に暮れた旅人のような風貌。みんながなでるため光っていた。
 「洛城一別四千里(略)家を思い月に歩して清宵に立ち 弟を憶い雲を看て白日に眠る…」「国破れて山河あり 城春にして草木深し」などの詩を思い出してあらためて像を凝視した。

▼一気にヒマラヤ越え

 大阪府堺市出身の僧、河口慧海は明治33年に徒歩でネパール・カトマンズからヒマラヤを越えてラサへ入るのに1年近くかかっているが、4年前に空路が開け、1時間40分。成都からも同じ時間の孫悟空飛びだ。しかし世界の屋根を飛ぶので気象の変化が激しい。成都空港で2時間待たされた。欠航が多いらしい。
 ジェット機は雪を頂く山々を眼下にしてあっという間に4000b級の山に囲まれたギャンツェのクンガ空港に着いた。ヤルツァンボ川の河川敷に滑走路があるだけ。雨が相当降ったらしい。消防車が2台で空港内の泥水を汲み上げていた。地上に降り立つとふらふらとした。標高500bから3700bまで一気に上がったのだから無理もない。紫外線が強いのだろう。日焼けした子供たちが物乞いに寄ってきた。赤ん坊を背負った子も多い。

▼ホテルでオウム真理教一行と同宿

 簡易舗装の道をオンボロバスに揺られる。川向こうの崖に彩色磨崖仏が。ほとんどの民家の屋根にタルチョがはためいている。魔よけで、経文が書かれた赤、青、黒、黄、緑の5色の旗だ。市街まで100`2時間揺られグロッキーに。  宿は6年前にオープンした外資系のホリディイン・ラサ(「薩飯店)。それまでは軍の粗末な招待所しかなかったという。ロビーへ入ってびっくり。白装束のオウム真理教の連中数十人がたむろしていたのだ。われわれが泊まった3階の部屋の廊下で2人ずつ徹夜で見張り番をしていたが、その部屋に麻原教祖ファミリーが泊まっていたのだろう。オウム真理教はチベット仏教の一部を取り入れていると言われたが、そのメッカへハクを付けにやってきたのか(注・その後、麻原教祖はインドへ亡命しているダライラマ14世にも会いに行き、60万円寄付して、ダライラマと握手している写真を撮り、お墨付きをもらっていたとマスコミが報じた)。

▼ベッド下に酸素ボンベ

 部屋で体慣らしのため休憩した。階段を上がるだけで呼吸が苦しくなる。ベッドの下には酸素ボンベが置かれ、苦しくなったらチューブで鼻から酸素を補給する仕組みになっていた。
 欧米人が目立ったが、どうやら僻地の避暑地として脚光を浴びているらしく、希薄な空気の中でサイクリングをしている欧米人を見た。そういえば、ホテル内に中華料理や西洋料理の店、「拉OK(カラオケ)」と当て字の看板を掲げたバーまであって、夜は欧米人で賑わっていた。ここまでカラオケが浸透しているとはオドロキだ。

▼輝くジャンボ・ポタラ宮

 チベット仏教(ラマ教)の聖地は町の真ん中のマリポリの丘にそびえる黄金と白亜の巨大なポタラ宮だ。ポタラは菩薩が住む山のことで、ここに観音菩薩の化身という歴代ダライ・ラマが住む白宮と、歴代ダライ・ラマのミイラを祀る霊塔と、多くの仏像を安置した紅宮がある。13階建てで1000以上の部屋がある。巨大なお城という感じだ。だが、ダライ・ラマ14世はインドに亡命して26年になる。が、信者はそんなことに関係なく、押すな押すなと押しかけている。薄暗い部屋が多いので、上がったり、下がったりしているうちに方角が分からなくなった。迷宮へ入った映画「ラビリンス」を思い出した。

▼写真を撮ると20元

 信者はヤクの油で作った灯明油を注いで「オン・マニ・ペム・フム」と唱えている。灯明の鼻を突く匂いで窒息しそう。写真を撮ろうとしたら20元(300円)などと要求される。天上の聖地も商魂たくましくなった。この商魂はチベットで訪れた全部の寺院に共通していたが。ポタラ宮の屋上からの眺めはすばらしかった。町の全景が見渡せ、4000b級の山に囲まれた盆地であることがよくわかる。が、下界へ降りてびっくり。輝く宮殿の下は煉瓦と土で固めたバラックがひしめいていたのだ。
この落差は?

▼渾身の五体投地

 信じるとはなんとすごいことか!感心したのは尺取り虫のような祈りの「五体投地」だ。まず両手を上まで挙げ、胸の前で合わせて祈り、全身を伸ばして地面に伏せて祈る。立ち上がって同じ事を繰り返す。市街から12`のデブン寺では赤子を背負ったまま、地面に額を付けて祈る女性、赤ん坊はポカンと反り返っていた。信者が一生に一度は行きたいという最大の寺院、大昭寺(チョカンジ)は入り口の石畳から信者でムンムン。
 マニロンというお経をいれた円筒をくるくる回す。一回で何百回も唱えた御利益があるという。次に足をくくって精神を統一する。あとは一般的な五体投地を繰り返す。これを毎日、煩悩の数108回繰り返す。膝当て、体を乗せる布を敷いているが、膝がすり減り血を出している人、額にタコをつくり、鼻先が埃で真っ白くなっている人…。10`どころか、数百`も先から何ヶ月もかけて“尺取り虫祈り”を繰り返して、この寺までやって来る。

▼今でも遺体は鳥が食べ星になる

 やっぱり今もあった。鳥葬が。しかし、だれも触れようとはしない(帰国後、同僚の朝日新聞社写真部員に聞いたが、血の付いた現場の写真は撮らせてくれたが、解体現場みせてくれなかったという)。
 重い口の現地のKさん(23)からやっと聞き出した鳥葬状況は−−。  市街から8`離れた山麓にあるセラ寺の裏山が現場。セラ寺は河口慧海と多田等親が明治から大正にかけて修行したので知られる。最盛期には8000人も学僧がいたという。版木に墨を塗って紙に刷る、お経の印刷所があって子供僧も働いていた。

▼笛の音で舞い降りたハゲワシは30分で食べ尽くす

 鳥葬に立ち会えるのは肉親だけ。遺体を朝早く裏山の安置所に担ぎ上げる。僧による読経で魂が抜かれ、裸にされて鳥葬の岩場へ。男性は背中、女性は胸から斧などで解体される。鳥が食べられるようにミンチ状に砕くのがコツ。最後に頭へ大きな岩を落として砕く。 やがて「ヒュー」と笛を吹くと、上空を舞っていた数十羽のハゲワシが舞い降りて食べ尽くす。鳥葬料は男性が200元(3000円)、女性は300元(4500円)。貧しい人と刑死者は水葬、高僧と病死者は火葬、ダライ・ラマはミイラに。
 人口20万人のラサでは毎日、2〜4人が死んでいく。「私ももちろん鳥葬です」とKさん。
 禿げ山が多いから樹木が少ない。地盤も固いので、川も浅い。とすれば鳥に食べてもらい、自然に還すのが一番合理的というわけだ。ひときわ大きく瞬く星になるとすればロマンチックでさえある。“天国に一番近い国”らしい生活の知恵だろう。

▼大きくきれいに瞬く星

 夜、外へ出た。8月下旬だったが、日中は27度だが、夜は5度と冷え込む。十三夜の月が切り立った槍ヶ岳のような山の上に出た。星も大阪で見るより大きいし、輝きもひときわ美しい。空気が澄んで、希薄だから瞬かないのではないか、と思った。が、むしろ大きなランプのようにチカチカとウインクしていた。ここで死んだら、あの星になるのか。狭い日本で墓を探すより、鳥葬も悪くないぞ、とメルヘンチックになった。


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