中国・中北部きまま旅
大阪のデパートで中国麦積山の石仏展を見て魅せられた。が、旅行社の話では「とても不便。西安から列車と車を乗り継ぐうえに、ホテルも期待できない」という。
ちょうど、日本の大学院を目指して来日中の蘭州大学卒の“ひまわり美人”続(ぞく)華さんが、「里帰りするので案内しましょう。あそこまで行けば、楊貴妃の墓へも行けます」という。同僚を6人誘って、この夏、「石仏歴史行脚」へ。ちょうど麦秋で広大な中国はどこへ行っても黄金の波。絶世の美人だった楊貴妃の墓にも参拝。本場ラーメンにも舌鼓を打ち、石仏に感動する「シェシェ」の旅だった。
▼良くなった空の旅
大阪から上海、乗り継いで西安市まで中国東方航空だったが、えらくサービスが良くなりびっくり。もう古くて汚いソ連製でなく、ドイツ製新型機で、モニターテレビが現在地、時速874`、高度8000b、それに機外温度まで表示するし、ビジネスクラス並みのエコノミー席でゆったり。快適な現代“孫悟空”旅を味わった。4時間で西安に着いたが、空港も近代的になっていた。続さんの話では昨年新しくオープンしたそうだ。
▼“幻想”の美人
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西安は唐第6代(7、8世紀)の玄宗皇帝が寵愛した美人、楊貴妃とのロマンスの地で、温泉のある華清池が有名だが、その楊貴妃の墓があると聞いて訪ねた。西安の西60`、興平県の一面トウモロコシと綿畑に囲まれた、ひなびた村・馬嵬坡(ばかいは)だった。
華やかだった皇帝の妃墓にしては質素な直径2bほどの饅頭型。「楊貴妃之墓」と刻まれていた。最初は土盛りだったが、あやかつて土を塗ると美人になると持ち帰る被害が出たので、煉瓦で固めたという。
有名人が訪れて詠んだ詩の石碑が並んでいるのはさすがだ。墓園内に楊貴妃の大きな白像が立っている。好きだったというサルスベリのピンクの花が咲いていた。が、それほどの美人ではない。あれは思い過ごしの“幻想”だったのか。 それにしてもなぜ、こんな田舎に葬られたのか?。玄宗皇帝は晩年、楊貴妃に夢中になって民衆の不満が爆発、武将・安禄山が謀反、玄宗皇帝は楊貴妃を連れて逃げる途中、警護軍も反乱を起こし、楊貴妃殺害を迫られ、玄宗皇帝は泣く泣く妃の首を絞めて殺した。38歳。それがこの地だったという。美人薄命、時に亡国の原因を起こす。
▼日本にもあった楊貴妃の里
帰国後、日本海に面した山口県油谷町に「楊貴妃の里」があると聞いて資料を取り寄せてびっくり。油谷伝説では、楊貴妃は危うく難を逃れ、舟で油谷の海岸にたどり着いたが、衰弱していて間もなく世を去った。哀れんだ里人が二尊院に埋葬したといい、墓まである。馬嵬坡そっくりの墓地公園になっていて、華清池にある楊貴妃が湯浴みしたという温泉の浴槽まで再現。西安市に依頼して制作してもらったという白い楊貴妃像も立っている。「楊貴妃の里」特産センターには「楊貴妃びわ」、菓子などグッズまで売っているという。
▼悲劇の孫の墓も豪華
中国では皇帝の墓の周辺に近親者や部下の墓・陪塚(ばいちょう)を造る。唐第3代の高宗(628〜683)と、その妃・則天武后の合葬墓「乾陵」(けんりょう)の陪塚は17もあるが、その1つ、則天武后の孫で、武后の怒りに触れて17歳で自殺させられた悲劇の永泰公主の墓は30年前に発掘された。規模が大きく、墓道や墓室の壁画、三彩の唐俑などが有名。西安から75`の地点にある。地下へ100bほど降りる。墓道の両側の壁に彩色で外国使節の接待、唐代の女官などの姿が描かれている。高さ40bの墓の上に登ると乾陵が霞んで見えた。たかが墓というなかれ。
▼馬に乗って墓参
乾陵はとてつもなく大きい。標高1000bの梁山の中腹に葬られている。高宗が亡くなった後、中国唯一の女帝になった則天武后が造営したものだ。参道両側に大きな天馬、ダチョウ、石馬、石人などの石像や武官像が並んで墓を守り、華麗な唐帝国の威信に満ちた時代の様子を物語っている。高宗の葬儀に参列した外国要人61体の石像もあるが、なぜかすべて首を切られている。ここから墓はまだ遠くに霞んで見える。
「馬に乗らないか」と誘われた。10元(250円)を3元に値切ったのはいいが、墓山の登り口まで来たらで「ここから先は30元だという」。「話が違う」とやりとりして全部で22元(550円)で交渉成立。迂回する山道で、急な登りが続くと、やせ馬はあえいで休もうとする。馬主は鞭で叩いて頂上まで30分で上がった。昔は墓の周囲に朱雀、玄武門など4門があったというが、今はない。結局、頂上からは見晴らしだけで、肝心の墓室は見ずじまい。どうやら農民が農閑期に馬でアルバイト稼ぎをしているらしい。ウマくノセられただけだった。
▼石窟内にツバメが巣作り
この旅行の目的地、麦積山へは西安から直快(急行)に乗る。軟座(グリーン)は駅の待合室まで一般と別で、エアコンも効いていて快適。座席は2段ベッド2つずつの4人部屋。小さな扇風機があるだけなので、窓を開けないと暑い。警官が来て「通路側にはバッグなどを置かないように。寝るときは内側から鍵をかけるように」と注意。
ディーゼル列車は北へひた走りして7時間で天水市に。ここは漢の武帝時代に突然、地面が割れて、天の川の水が流れ込んだという伝説から地名が付いた。標高1100bだから、六甲山並みだ。
車で南東へ50`、2時間走る。簡易舗装だからひどく揺れる。やがて「あれが麦積山です。麦わらを積んだように見えるでしょう」と続さん。絶壁に蜂の巣のように石窟が掘られ、まるで“石仏アパート”だ。20b大の表情のいい3大仏も2カ所に見える。「♪はるばる来たぜ麦積山」という感じだ。外側に付いた足場のような階段を90bまで上がる。下を見ると足がすくむ。194窟に7800の塑像や壁画があった。
禅修行の霊山で4世紀ごろから仏像などが造られたという。外国人に開放されたのが7年前。緻密な良い仏像が多いが、イワツバメが洞窟内に巣づくりをしていて、盛んに出入りし、糞害が心配される。
▼安くてうまい蘭州ラーメン
天水から夜行列車で7時間半北上して蘭州に着いた。故郷に来た続さんは浮き浮きして家まで案内してくれた。「うまいラーメンが食べたい」といったら、「馬子禄牛肉面」店へ案内してくれた。なるほど店の外まで長い列。8人の職人が、延ばした麺を2つから4つへと手際良く延ばして細くなったら1人前ずつ熱湯に放り込んでゆく。肉ラーメンだけだが、確かに旨い。中国は5回目だが、ラーメンらしいラーメンは初めてだ。2杯も食べた。1杯がわずか2元(50円)。
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▼高原のラマ寺院
蘭州をベースにまず南西270`の夏河へ。標高2900bと立山の9合目の高さ。ここの桑科(そうか)高原にはパオで生活する遊牧民がいた。ミツバチも飼っている。羊飼いも目立つ。ここはチベット自治区で7割がチベット族だった。
金色の塔や朱色、紫のきらびやかな建物のラマ教(チベット仏教)寺院「ラブロン寺」が、この町のシンボルだ。朱色の法衣をまとった僧が目立つ。 この町出身の高僧がチベットのデプン寺にいることを知って、帰郷してもらい、寺院を建てたという。ラブロンは「仏教の宮殿のある場所」の意だ。ここではチベットと同様に鳥葬が行われていると聞いた。人間が死ぬとハゲタカに食べさて自然に帰すのだ。
蘭州から南西へ車で2時間で黄河をせき止めた劉家峡(りゅうかきょう)ダムのダムサイトに。ここから船で3時間、黄河の上流に炳霊寺石仏はあった。一帯は桂林のように奇岩がそびえている。4世紀から清朝時代にかけて絶壁に183の窟を掘り、694体の仏像などが彫られている。外壁にある27bの磨崖仏がアクセントになっている。1500年前にどうしてこんな山奥に仏像が彫られたのか。ダムの水が減って底がむき出しになっていたので、ヤクが悠然と歩いていたのが印象的だった。中国の奥は深い。
▼石仏鑑賞は高くつく
中国には石仏が多い。が、最近、鑑賞に特別料金を徴収するケースが目立つ。カメラは入り口で預ける。普通の入場料では表面的な窟しか見せない。例えば、敦煌の莫高窟(千仏洞)では、特別窟は特別拝観料がいる。知人は「昨年、敦煌へ行ったが、カメラ禁止で特別窟は1窟ごとに50元から200元徴収され、夫婦で2万円払った」という。中国の平均月給が3000円から8000円だから非常に高い拝観料だ。撮影禁止は、自国製のスライドや写真が売れなくなるからだ。
日本はODAで中国に借款も含めて20年近くで2兆円も援助している。もう少し感謝の態度を見せ、寛大であってもいいと思う。日本の旅行社にも「遠慮しすぎる。せっかく中国くんだりまで行くのだから、有る程度写真を撮らせるべきだと、もっと強気に主張すべきだ」と、言い続けているのだが。