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【マンテン会長】 横田 辰三
朝日新聞 1983年4月15日(夕刊)から3回掲載分の要約
▼特許1500以上
《折り畳み式ベビーカーはもう当然になったが、昔は4輪で押して歩く大型の乳母車しかなかった。折り畳み式を最初に開発したのがマンテンで、画期的ベビーカーブームを起こした。特許は1500以上、大阪の、ど根性を発揮したアイデアマン》
▼折り畳み式ベビーカー開発
あれはヒットしましたね。自転車メーカーは大阪・堺に集中していますが、ある自転車メーカーからヒントを持ちかけられて、ベビーカー開発の研究を始めました。軽くするのと、折り畳みで何度も失敗し、途方に暮れていた時、商社を通じて英国の特許が持ち込まれたのです。これだけではだめで、軽いパイプにするなど改良を重ね、折り畳み式乳母車「ベビーバギー」を日本で初めて売り出したのです。
ちょうど大阪万国博の昭和45年でした。広い会場を乳幼児を乗せて歩くには、軽くて、畳めるバギーはタイミングもぴったりで、売れに売れました(今はアピカなど他のメーカー製が有名)。
▼身障者用バギーカーに発展
バギーを基本に発展させて身障者用のバギー車の開発、ぶら下がり器など健康器具の開発に進みました。
▼金物店へ丁稚奉公がルーツ
《横田会長はアイデアマン。パテントは1500を越え、さしずめ“町の発明博士”》
会社のルーツは金物店で昭和8年の創業だった。明治42年大阪生まれ。商業を卒業してモスリン会社に就職が決定。ところが祖母が勝手に金物問屋へ丁稚奉公の約束をしてしまったのです。9人兄弟の長男だったが、家業の紙箱製造業を継がせるより、船場の金物屋の方が将来性があると判断したようです。
▼“猛働週間”で休みなし
むちゃくちゃに働かされましたよ。「猛働週間」なんてのをつくって、日曜・祝日もなし。輸入品の建築金物を主に扱っていたので、英語が出来た私はカタログの翻訳をやらされましてね。なんといってもアメリカなど外国が進んでいたので、このカタログ読みが、その後の製品開発アイデアに参考になりました。
▼ニコチン除けキセル開発 満点名で会社設立
考えることは好きで、奉公中にもニコチンよけキセル、引き戸用ドアチェーンなどを考案しました。
軍隊から見習い士官で帰ったのが、昭和7年。弟と2人で祖父から650円借りて「満点」の名で建築建物の製造販売を始めました。力を100%出し切って、いつも満点の状態で頭を使う、という意味です。
▼贅沢品製造販売制限令 金物類は供出し砲弾に
しかし、調子に乗ったところで、弟とそろって応召ですわ。昭和15年に解除になったものの16年には第2次大戦が始まって、贅沢品等製造販売制限令(7・7禁令)が出て、作っても、売っていけないことになりました。特に金物は供出して日本軍の弾丸になったんです。お寺の鐘や大仏も供出して砲弾などになった時代です。
▼分散軍需工場の戸車などにねらい
しかし地方に分散軍需工場が造られると聞いて、工場の戸車やレールを納入させてもらう交渉をしました。「いくら金属不足といっても、軍需工場まで、すべて木で代用とはいきませんからね」。鉄線で試作レールを造ったら認められて、大量に納入出来て助かりました。が、20年3月の空襲ですべて消失してしまいました。
▼戦いすんで鉄の山だけ残る
戦災で焼け残ったのは、11カ所に保管していた鉄の山。20年9月に満点製作所として再出発、焼け残りの鉄の山で金物づくりを始めました。進駐軍が続々やってきて、宿舎の需要が急増したのに目を付け、蝶つがいやドアロックを大量に納入することに成功したのです。戦後ですから物資不足はひどかったので鉄の山はありがたかったですよ。
▼ホステスからも借金
だが、28年に大不況がやってきて、需要は激減。おまけに売掛金の回収も出来ず資金繰りに窮しました。大建設会社でも納入した金の何分の1しか払ってくれんのですから。信じてもらえませんが、バーやキャバレーの親しいホステスからも借金しました。
大晦日に専務とそろばんをはじいたら、残りは1000円だった。「余ったんならいいやんか。もう寝よう」と除夜の鐘を聞いてねて、正月は1銭も使わず、寝正月という年もありました。
▼ 24時間タイムだけ平等これを生かすのが成功のカギ
でも頭の中は仕事のことでいっぱい。中小企業の生きる道は、他に真似の出来ない物を造るしかない、とつくづく思いましたね。平等に与えられているのは24時間というタイムだけ。これをうまく利用しなければ、というわけです。
ある日、大阪の心斎橋を歩いていて、画廊で壁に釘を打って絵を掛けているのを見ました。壁に傷をつけずに吊す方法はないかと考えた。あみ出したのが、板に等間隔で穴をあけて、特殊な掛け金具を差し込む「ハンガーボード」ですわ。昭和33年のことで、爆発的に売れ、どん底からはい上がる起爆剤になりました。
こうした蓄積が、折り畳み式ベビーカー開発へとつながったと思っています。
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