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“田園の居”に帰った後輩


加能人 2004年8月号掲載


★ほとんど故郷へ帰りたがらない
故郷を離れて40年以上になり定年を過ぎると「終の棲家をどうしようか」と考え る。関西に住む友人らと会うと、その話になるが、ほとんど「郷里へは帰らない」と いう。基本的には北陸の気候が原因だ。11月も近づくと、どんより空から突然、冷 たい雨が、みぞれが降ってくる。戦後は吹雪もひどかった。が、加賀平野から見る白 山はすばらしい。真っ白く冠雪した山が次第に残雪になり、消えていく。田んぼの積 雪も。この春を待つ喜びが格別だったのを鮮明に覚えている。 それが地球温暖化の影響もあると思われるが、現在は根雪も“死語”で、昔のような 激しい吹雪や積雪もなく厳しい気候ではなくなった。が、関西に住むと、冬は快晴続 き、雪もほとんど降らない。だれでも「気候の良いところ」に住みたい。一度は、白 山の姿が美しい場所の「田んぼを1枚欲しい。ここにセカンドハウスを建てる」と親 父の了解を取ったものだった。しかし、次第にその熱も冷めた。老いるほどに“北陸 の冬”を思うと気が重くなってきた。

★帰って衛門館に住む後輩
ところが3年前に神戸の団地などに41年住んだ高校・大学の後輩でY新聞社を定年 退職したS君が「やっぱり、長男だし、病母と住んで百姓でもして親孝行するわ」と 言いだした。彼の故郷は小松市の山手の中海町。歴代「衛門」を名乗った家柄だ。1 年ほどかけてその旧家を改築し、02年秋に帰郷した。改築といっても近代風ではな い。木造をそのままに漆を塗り替えたりして都会でマンションが買える約3000万 円もかけたという力の入れよう。なるほど典型的な養蚕農家だったもので、2階はや や背が低い。計画では2階にスクリーンを付けてDVDなどを映写し、周囲には蔵書 を並べて、「住民に開放する広間にしたい」という。「衛門館」と名付けたが、非常 に格調のある旧家になった。残念ながら病母は完成前に他界。それを一番悔やんでい た。

★蜃気楼にも似た人生だった?
最初の仕事はサツマイモ作りだった。「晴耕雨読を期しての故郷、まずは母が遺した 屋敷内の畑にイモ植える。(略)都会生活への未練を土に埋め込むつもりで1本、1 本植えた。この俄百姓のイモも秋には見事に実った」(金沢大法・経・文同窓会創立 50周年記念誌より)と感想を記している。同時に、趣味の連句で「反則ながらあえ て独吟とした」として

万感を込めて藷植う帰郷かな

蜃気楼にも似たる山並

と詠み、「畑から大好きな残雪の白山連峰が見える。裾は春霞に隠れ、あたかも蜃気 楼のように。これまでの40年も蜃気楼だったのかも」と心境を(いずれも50周年 記念誌より)
春になると神戸の団地(長男に譲り、一部屋だけ確保している)へ数日戻り、一緒に 食事をする。「いやあ、北陸の冬は厳しい。精神的におかしくなることもある。が、 春から秋は最高だよ。空気の悪い都会よりも、澄んだ田舎のほうが健康的にもいい ぞ」という。「田園の居に帰る また楽し」の心境らしい。

元朝日新聞編集委員   吉原 暢彦

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