表紙へ戻る   旅行記  NEXT


「戦場にかける橋」は、今「平和にかける橋」
 国際観光地化したタイ・カンチャナブリ 
 泰緬鉄道をSLも走る

月刊 「アジア倶楽部」2001年3月号より転載


 常夏・タイ国の「クワイ川鉄橋」といえば、中年以上は映画「戦場にかける橋」とテーマ曲「クワイ川マーチ」を思い出すことだろう。旧日本軍が連合国軍捕虜や現地人を強制労働させて泰緬鉄道のクワイ川鉄橋建設をした様子を映画にしたものだ。何度かタイを訪れたが、やっと現地カンチャナブリ行きが実現した。が、そこで見たものは残酷な過去は完全に風化し、国際観光地化した「平和にかける橋」を渡る人々だった。

★強制労働の聞き取りは記事は生々しい

 泰緬鉄道には特別の思い入れがある。19年前に「労働者の慰霊鎮魂行脚する日本人」という記事作成に関わったからだ。戦時中、現地で通訳をし、戦後、連合軍の命令で泰緬鉄道での捕虜死亡調査として連合軍と共に墓から多くの遺骨を掘り出した倉敷市の永瀬隆さんが鎮魂の旅を決意、同行取材した朝日新聞の中川記者の担当デスクをした。生き残りアジア人労働者の強制労働の実態聞き取りなど記事は生々しく、強烈な印象を残した(永瀬さんは後に現地に平和寺院を建立)

★今は国際観光地に

 いざ現地を訪ねると、ジャングルの中で木橋を架ける映画のシーンや「19年前の取材の時は一帯はまだジャングルで付近に勿論ホテルもなかった。道路を象や羊が歩いていました」という中川記者の証言など想像も出来ない変わりようだった。
 川の畔に爆弾が飾ってあったのと、駅のそばに展示されていた当時、泰緬鉄道を走った日本製C56蒸気機関車、それに少し離れたところの慰霊碑が当時の証人だった。

★待避所で土産品を売る

一帯は完全に国際観光地化していた。あのクワイ川鉄橋を、ぞろぞろと観光客が歩いている。米国人や欧州からのお年寄り多いが、短パンにTシャツの軽装日本人ヤングも目立つ。常夏だからいつも30度はある。10カ所ほどの橋の待避所では布を敷いて土産物売りが並んでいる。「ピー」と警笛をならして列車が来ると、観光客は一斉に待避所へ逃げる。

★黒煙を吐きSLも走る

 ちょうど日曜だったので特別観光列車SLが煙を吐き、徐行しながら橋を渡る。途中で停車するサービスも。「クワイ川を黒煙を吐きながら走るSL」は絵になる。当然記念撮影だ。岸辺からもカメラでパチパチ。
 鉄橋の下ではボートや舟が観光客を乗せて鉄橋の周辺をぐるぐる回る。水上レストランからは拡声器のボリュームを上げて「クワイ川マーチ」が流れる。土手には赤いカンナやブーゲンビリアが咲いている。その花越しに鉄橋を見るのもいい。真っ赤な花の色が死んだ兵士の血を思わせる。黒い鉄橋の両端のアーチ型は当時そのままで、真ん中の角型は連合軍の攻撃で吹き飛ばされ、戦後、再建したものという。
橋は敗戦2年前の昭和18年(1943)2月に映画のように木で架けられ、その後、鉄橋が完成したという。今、この橋は現地の人たちの生活橋にもなっているので、重い荷物を担いだ人たちが渡る。

★木橋を悲鳴を上げ列車は行く

 クワイ川駅から「ナムトク」行のディ−ゼル車に乗った。確かに外国人が目立つ。「かつて英国人技師が途中まで行った以外に人間の通った例がなく、タイ国の地図にはないにもかかわらず、わが軍の空中写真により見当をつけ、しゃにむに工事を開始したという超乱暴な工事」(伊藤正徳著「帝国陸軍の最後」角川文庫)。なるほど断崖絶壁の部分が多く、難工事を思わせる。警笛を鳴らして徐行を始めた。
 絶壁に添っ鉄橋ならぬ“木橋”を渡る。アルヒル桟道橋だ。「ギーギー」ときしむ音が続く。川底まで数十bはある。乗客は窓から乗り出すようにして写真やビデオを回しながら「ヒヤー、超スリルだ」。間もなく「タムカセ」駅に着いた。ここで降りてアルヒル桟道橋を渡りに行く。崖を削ってレールを引いた高い木橋がそこにあった。歩く。体が震えた。桟道は老朽化が激しく、支える鉄骨も錆びている。

★整然とならぶ墓石群

 カンチャナブリに戻り、連合軍共同墓地を訪れた。泰緬鉄道建設で強制就労させられ、餓えとマラリア、コレラにやられて死んだ連合軍兵士9000柱が眠る。整然と墓石が並び、墓石毎に供花が植えられ、除草する現地人も。赤や黄色の花が、ことのほか美しく見えた。

★クワイ川そばにプール付きリゾートホテル

 その夜はクワイ川鉄橋そばのホテル「フレックス・リバー・クワイ」に泊まった。広大な敷地にロックガーデンや噴水が上がる池を巡らし、プールで泳ぐ客が多い。池を囲んで鉄筋3階建て(6室)のコテージが20棟建つゴージャスなリゾートホテル。食事は本館で豪華な料理がでた。人気で週末にはバンコクからもファミリーがやってくるそうだ。映画「戦場にかける橋」のシーンを思うと、場違いな感じの“離れやど”。野鳥のさえずりを子守歌に眠りについた。ここに1週間ほど滞在したいと思った。平和のありがたさを、こんなに感じた旅はない。

▽アクセス=列車はバンコク・メイ駅から3時間でクワイ川駅。この先、終点のナムトクまで12駅。バンコクからはバスも頻繁に出ている。
▽泰緬鉄道(たいめんてつどう)
  第2次大戦末期に軍需物資の海路輸送が難しくなり、旧日本軍が建設したバンコク〜ビルマ(現ミヤンマー)を結ぶ415`の軍用鉄道。正式には「泰緬甸連接鉄道」。当時、日本はタイを「泰」、ビルマを「緬甸」と称した。1942年着工、普通なら5年はかかる工事を1年3カ月で完成させた。その陰で25万人が過酷労働を強いられ、病気と餓えで“枕木の数だけ”の死者(9万とも10万人とも)を出したといわれる。
 現在はタイ国鉄のローカル「ナムトク線」、ノイ駅〜カンチャナブリ経由ミヤンマー国境近くのナムトクまで170`。1日4往復。
 映画「戦場にかける橋」は監督デビッド・リーン、出演ウィリアム・ホールデン、早川雪州ら。この映画で泰緬鉄道を世界的に有名にした。

 吉原 暢彦(朝日新聞前編集委員・トラベルライター)

表紙へ戻る   旅行記  NEXT