阪神大震災と学校の周辺  NEXT


 ◆西からのJRが神戸まで! 1/30

 本日から須磨まで来ていたJRがさらに神戸まで伸びてきました。大阪に通勤されるかたはさらにそこから、バスか歩いて三の宮まで行き、そこからバスで阪神の青木などに行って大阪方面の阪神電車などに乗り継ぐ事になります。
地形的に阪神間は、狭い海岸線をJR、阪神、阪急の3本でで通勤客をさばいていたのですが、今回の地震で、国道も含めて縦に遮断される恰好になりました。このため、自動車は、福知山から京都方面に迂回するようなルートが出来上がったりします。本日、神戸まで伸びたJRも普段の輸送力の半分ですから、垂水駅までは、女性の方などは乗るのを見合わせるような混み具合でした。これに、通学の高校生が加わればさらに混雑は増すでしょう。やっと細い線で繋がったというだけで通常の生活が戻ったというわけではないのです。

 今朝は、この便を使い、兵庫駅から下車して学校まで歩きました。乗りさえすれば、自宅から学校まで1時間20分ほどで行けました。車中からのぞむ光景は言葉になりません。長田駅はプラットホームが崩れさり停車しません。最徐行で嫌でも悲惨な駅舎の姿が目に飛び込んできます。
 学校の方は、かなりの落ち着きを示していました。避難されている方も徐々に片付けも済み自宅へ帰る方も増えてきまして、現在は800人ほどの方が体育館におられる状態になっていました。水道と、ガスがつき、道路が整備されれば、学校に留まる方の数も減ってくると思います。後は、家が全壊あるいは焼失してしまって行き場のない方が取り残されますが、仮設住宅や公営住宅の空き部屋の数も絶対数が足りませんので、問題解決にはなりません。
 今日は、一日かかってコンピュータ部のボランティアで、避難された方の名簿の更新の出力をしていました。印字の設定にかなり手間取り夜8時半に帰宅です。手伝ってくれた某君は、自宅が半壊で、それでも市の判定は「イエローカード」で「赤」ではなかったので、昼は自宅の整理などもできるようです。土台が傾き、家にはとても住める状態ではないのですが、衣類などは持ち出せるといっていました。そのような半壊状態の家でもほっておくと被災者を装った泥棒が出没するので、自治会では夜警団を組織したりしています。
 緊急時の手の空いている教師の総力戦から、学校再開に向けて校内組織に移管しての手順が組織的にされるようになりました。教務部は、学校再開に向けての手順なども今日は決めました。水道も、避難されている方と生徒がくるのでということで、水道局から当面4トンの水を貯水槽にポンプで上げましてトイレに水を流し排水管の様子をみましたが異常は認められないようです。
 学年毎に一日ずつ登校させて再度住宅や通学事情を調査して、6日ごろから当面3時間の短縮授業の再開を立案しています。明日は、校務運営委員会などの会議が4つほど続けて持たれます。

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