阪神淡路大震災の起きた1月17日から今日で29年が経過しました。TVで震災に関連した番組がこの時期放映されます。 今年の元旦には能登半島大地震も起き今なお厳しい状態が報じられています。金沢で4年間学生生活を送ったので友人・知人もいますが今なお電話が通じない方もいます。 震災時、県立兵庫工業高校に勤務していました。ボランティアで被災者の方々と関わるなかで断片的な記録をとっていました。あの体験を風化させないために教員として見聞きしたことをまとめました。さまざまな震災の記録が出版されていますが、当時学校の教師がどのような動きをし学校の内側と関わりをもったのか、関心のある方はお読みください。 22年前から公職を辞し第2ステージに入り震災十周年の年(2005)には神戸市の“震災10年神戸からの発信”という事業の中の年に7回 “市民手作り新聞”の発行に関りました。毎号何本かの記事を担当しましたが、第2号と編集スタッフの解散のときに出したスタッフ交遊録の記事も追加掲載します。同じ思いの新しい人々と出会いました。 現在の高校生や大学生には震災の記憶はすでにありません。成人式の若者にとっても被災時の記憶には過去の歴史です。この地にあって風化させてはならないという思いを新たにします。 13年前(2011年)の3月11日14時46分、日本の太平洋三陸沖を震源として発生した東日本大震災が起きました。犠牲者、規模も阪神淡路大震災を凌ぐ被害です。さらに、福島の原発の破砕も加わり、放射能汚染の影響も続いています。 神戸のその後の復興の過程で得られた仮設住宅での孤独死を防ぐなどのノウハウが、東日本大震災へも伝えられています。さらに熊本地震も起きました。 NEWE DUCATION EXPO2015 の東京会場では、防災教育の分科会で東北で震災であった先生方と一緒に発表の機会がありました。 国際貢献とか震災の教訓を生かすためにも震災が起きた時にもっとも効果的な救済のノウハウを培い援助ができないのかと改めて思いました。 全国土のインフラの整備、自前の補給路の確保と援助団体の効果的な配置と情報の共有など、今回の東日本の大震災を経て学び組織化すべきことが多くあると思います。 岡田俊一 (2024/01/17 更新) |
ひとりの震災ウォーク第2号 2005/02/02 | 神戸の住民から市民へ ハートだより番外編 |