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冬の沖縄 2003/12/28
「美ら海水族館」は横幅が35mもある巨大水槽の中の甚平鮫もいいですが、小魚の群が一つの生命体のように動く様に魅せられました。沖縄といえばシーサーの愛嬌のある屋根飾りも飽きません。 offシーズンの旅行は格安。2泊3日で朝食つきホテルでレンタカーを使い一人3万円と少しでいけます。帰りは乗車率は2割ほどでしたから空気を運ぶよりもいいのかも。第二ステージへ入った恩恵です。沖縄には以前、パソコン通信の講師で何年か呼んで頂きました。当時の方々にお会いでていい時間を過ごしました。 (03/12/21撮影)
光の地平線 2003/12/19
9回目のルミナリエ。今年は緑色系が映えています。 過去の観客動員数は次のようになっています。
1995 254万2,678人/ 1996 385万5,665人/ 1997 473万2,346人/ 1998 516万3,716人/ 1999 515万7,573人/ 2000 473万7,907人/ 2001 519万人/ 2002 464万人/ 観客数はいずれもメイン会場のみということらしいですが、端数までしっかり数えているのはかえって嘘っぽい。最近のテーマ は、「光」シリーズです。東遊園の横の池に反射した「光の壁」です。 期間は、12/25まで。 平日は、18:00-22:30 土日祝は、17:30-22:30まで点灯。(03/12/14撮影)
柳生街道の石仏 2003/11/30
NHKの大河ドラマで脚光を浴びている柳生街道の「滝坂の道」を忍辱山から下りました。画像は、平安時代の作といわれる地獄谷石窟仏です。武蔵もこの前を通り手を合わせたのでしょうか。それは試合の前か後かこの山道を歩くと当時へ想いがはせます。400年後の世相をこの仏様はどのように見ていらっしゃるのでしょうか。 土日以外は、バスの便数が少なくなるので事前に調べた方がいいです。石畳が続き滑りやすいのでハイキング用の靴の準備を。途中の朝日・夕日観音も風情があります。白豪寺、新薬師寺と回ると心地よい一日ハイキングコース。(03/11/23撮影)
閑谷学校の秋 2003/11/18
岡山・備前にある閑谷学校へ行きました。神戸から往復230kmで帰りは日生で魚料理を頂きました。手ごろなお勧めドライブコースです。今年は京阪神でも紅葉が例年並以下といわれています。ここのお目当ての「櫂に木」の彩度も今ひとつでした。画像は、江戸時代の藩校の横に保存されている私立閑谷中学の校舎から見た中庭です。 凹凸のある透明窓ガラスを通して窓の外の風景に見入ると、幼い頃の学校生活のざわめきが聞こえてくるような気がしました。学校が地域文化の中心になり学ぶことが大切にされていた時代の記録がここにはあります。情報の量ではなく質が大切にされていた時代がすぐ前までありました。(03/11/14撮影)
神戸市立森林植物園の紅葉 2003/11/04
阪神の優勝で活気のあった関西ですが、優勝パレードも終わり気づけば秋本番。森林植物園へドライブと散策。平日は幼稚園児や学校関係の団体バスが目立つ程度で静寂な時間と空間がここにはあります。園内にはカメラを担いだ人やイーゼルをすえてスケッチをしている人もいました。80歳は過ぎた思われるご夫婦が幼稚園児のように手を繋いでスタスタと歩かれていたのは微笑ましい絵になっています。熟年の人が目立ちゆったりとした時間が流れていました。
今回は、もみじの「葉」に注目して画像をデジカメに収めました。画像の右上はひょうたん型の相似形の葉模様が3枚並んでいます。その下の葉は黄色と赤のバランスが見事に映えています。自然の造形美にはとても太刀打ちができないと思いました。一枚一枚の葉が素晴らしいオブジェとして存在を主張しています。(03/11/04撮影)
篠山の町おこし 2003/10/11
例年、篠山市ではこの時期「味祭り」を開催し丹波牛の焼肉配付のイベントにあわせ全市をあげて黒豆の販売などが催されます。例年、河川敷を臨時乗用車の駐車場にしてますがそれでも車をとめるのが困難です。そこで、10/10に行き黒豆の枝豆をごっそり購入しました。
篠山市内は城下町です。そこに住んでいる人が古い建物を大切にして住み続けているため、観光的な町よりいい趣きを残しています。黒豆以外にも、牡丹鍋も名物です。生活やそこの産物と一体になった町おこしが成功しているケースでしょう。商店街の店の看板もユニークで思わず立ち止って見てしまいます。西紀町の方にも「黒豆の館」が5年目に建設され広大な駐車場を備えて黒豆を中心にした食事と売店ができました。(03/10/10撮影)
電池の値段 2003/09/30
LR44のボタン電池が必要になって量販店に行きました。今回紹介するのはここまで開くケースは珍しい例です。上段と下段左はいずれもfujitsuの商品。単価計算をすると1個あたり186円、180円、94円という値段の開きがあります。しかし驚くのは、ダ○ソーの50円×2個。これは中国製とありますがこ商品イメージと関係なく100円ショップの使い捨てで充分な気がします。 fujitsuは商品を二通り生産しているとは思えません。この価格差は仕入れ業者の力関係でしょうか。ちなみに188円で二個組を売っているコー○ンでは事務用品の価格が安く私が使用しているプリンターPM-880Cの補充インクも安いです。二個組の物で1900円が最近1920円に値上がりしましたがそれでもコジ○よりも200円安い。第二ステージ突入し時間があって節約生活を心がけるようになると必ず複数の店を比較するようになります。生活防衛というよりもより安くて良質のものを見つけることが一種の快感となります。(03/09撮影)
ヨーロッパ旅行 2003/09/15
第二ステージへの記念につれあいと初めてのヨーロッパ旅行に出かけました。パック旅行のために毎朝5時半から7時の間にモーニングコールがあり体力勝負の強行軍でしたが、効率的に観光地を回りました。三カ国のおびただしい画像と美しい街並みが印象に残りましたが、時の経過とともにパリの街並みとかスーパーマーケットの中などそこに住んでいる人の日常生活を垣間見たことも結構印象深く残っています。 ロストバゲッジに遭遇したり出国手続きの遅れなど日本人的感覚ではちょっと考えにくいトラブルにも遭遇しました。パスポートの必要な外国での緊張感を体験できました。日本人の均質化された労働力の質の高さもあらためて実感。(03/09/12撮影・モンマルトルの路上バス)

【散策】へ旅行中のレポートをアップしています
小学校の同窓会 2003/09/04
退職して第二ステージに入ると故郷や同窓の友人達のことを思い出し、今までの生き様を振り返りスタート地点へ回帰するような心境になります。そのためか、4月以後高校や大学などいろんな同窓会の呼びかけがありました。
その中でも参加して強い印象が残ったのは、小学校1年の時のセピア色のクラス会でした。 幸い当時の担任の先生がお元気で私は初めてのクラス会への参加。話すうちに記憶が紡ぎ糸のように次々思い出され、参加者の近況報告がしばしば中断しました。話されるその場ですぐに他の友人から消息やらすっかり失念していたことの指摘やらありました。12人の集いでしたが、連絡がとれたのは24人。住所不明10人。死亡確認5人。戦後の生活がやっと落ちつき始めた地方都市のクラスとしては標準的でしょうか。この後、メールや手紙での交歓がその後も続いています。
これが、85歳の叔父の年代になると終戦時に80人の同窓生の半数が戦病死。そして現在は13人が生存とか。クラス会の生存者数はその時代を反映しています。
団地の盆踊り 2003/08/24
現在の団地に引越して25年経過しました。人口構成も大きく変化して高齢化が進み普段は閑散としています。団地内に数箇所ある公園のグランドも子供たちが少なくなってあまり遊ばないために草が生えています。
今年も団地の「盆踊り」がありました。この日だけは、こんなに子供たちがいたのかと思うほど多くの参加者があり賑やかな抽選会・模擬店・盆踊りと盛り上がっていました。この団地で過ごし結婚して出て行ったこどもたちが実家に里帰りをするのです。長女も孫とともに参加していましたが、小中のころの顔なじみにあったと言ってました。
盆踊りを主催する自治会も、以前はやぐらを有志で組んだりしてましたが、最近は業者に委託して提灯のとりつけや電源の配線などもお願いしているようです。このような行事もいつまでできるのか時代の趨勢を反映しています。 (03/08/23撮影)
達成感がわく『投入堂』参拝 2003/08/07
故郷の墓掃除の後、山陰海岸をドライブして東郷温泉に一泊し、翌朝、三徳山の国宝「投入堂」へ登りました。小学校のころ登った記憶はかすかにありますが、こんなに厳しく切り立った場所にあるとは思いませんでした。途中は階段とか平坦な道はまったくなく、全行程がアスレチックコースのよう。最近の年代測定法で平安時代後期の建造物と確定したとか。慶雲3年(706)、役の行者が法力で岩屋に投げ入れて作ったことからこの名前がついたと言い伝えられています。 鎖をたぐり、木の根に掴まりながら垂直に登った後に見るお堂だけに感激も強くなります。 鎖坂、かずら坂、文殊堂、地蔵堂、鐘楼堂、牛の背、馬の背と難所が続き、観音堂、不動堂が途中にあります。画像の支柱は、地蔵堂のもので、この上にある空中回廊に座ると冷風が吹きさわやか。高所恐怖症にはやや辛いかも。 本堂である三仏寺横にはユーモラスな地蔵さんが苔を帽子にして鎮座されていました。本山にはいるのに400円。奥の院に入山するにはさらに200円と参拝料金が加算されます。環境維持の費用と思えば納得できる料金か。往復90分。 (03/08/05撮影)
小野市の『ひまわりの丘』野菜販売 2003/07/27
兵庫県の明石から社町へ伸びる国道175号線沿いの小野市東側の沿道に『ひまわりの丘』ができました。高大な無料駐車場があり遊具や芝生や庭園があり家族連れで賑っています。その中の一角に生産者が直接店頭に並べるJAによる店舗がありました。
無農薬・低農薬を謳い農作物には生産者の固有名詞が印刷して一個ずつ貼り付けてあります。壁には、提供者の写真と一言集も展示してあり、誰が作ったのかもわかります。「私たちが心を込めてつくっています」とありました。パッケージもビニール袋に80円から150円の間で括られ、ケースに入れらているだけ。商品パッケージも省略されています。それでも、レジは3台でフル稼働をしていました。値段も、安いとつれあいの観察。郊外で駐車場さえあれば、ドライブがてら、気軽に立ち寄れます。
「道の駅」でも安い農産物が売られ、イベントも開かれ地域の中心になっています。車社会と過疎地がうまくバランスをとって共存していく新しいスタイルが見えます。 (03/07/25撮影)
NHKの『武蔵の里』 2003/07/11
先日帰省し帰りに今までは素通りしていた大原町から武蔵の里に寄りました。雨にも関わらず観光バスが入っていました。急ごしらえの看板やあちこち「由緒ある」史跡のたて看板が乱立。おきまりの大河ドラマ名所の風景です。武蔵神社には、『お通の桶』なるものが展示してありました。個人的には、こういうのは好きです。観光客の方も面白がりながら付き合っています。 しかしながら「強くなりたい」と瞬きを止めた目で叫ぶ武蔵は思ったほど視聴率は伸びず苦戦をしているようです。吉岡家の決闘シーンに見られる幼児殺害への嫌悪感やイラク戦争の反動で平和指向の世論と合わないという説もあります。 中途半端に若者と歴史そのものに関心のある年代の両方を狙ったのが裏目に出たのではないでしょうか。現存する武蔵ゆかりの実家名で墓地には「墓地内に入らないように」という掲示と縄張りしてありました。それでも、急ごしらえのグッヅやお菓子が並び束の間の地域の経済に貢献しているらしいことはわかります。 次は新撰組。京都は自力でいけるからまだ大河ドラマの恩恵を受けてない県から今後は選べばいいのに。 (03/07/05撮影)
森林植物園の紫陽花が見ごろ 2003/07/01
時間的な余裕もできたこともありハイキングに行く機会が増えました。
神戸の魅力は、都心から近い場所に海と山が隣接していることにあるとよく言われています。体力に合わせた起伏に富んだハイキングコースがあるのは嬉しい。ウォーキングやハイキングをしていて目立つのは、年配の方や女性が多く歩いているのが目につくことです。若いカップルなどはむしろまばら。
ハーブ園からトゥエンティークロス経由で森林植物園へ登山靴の足慣らしも兼ねて歩きました。日曜のためか団体の方々も多く目的地の森林植物園では車の入場者も含め多くの人々で賑わっていました。この時期こんなに多くの入場者が賑わっているとは知りませんでした。高齢化社会といわれますが、体力を持続させてこそ実りある第二ステージが保障されます。そのような意識が強まってきたのは日本社会の成熟さを示すバロメータといえるでしょう。 (03/06/29撮影)
防犯グッズが売れ筋 2003/06/07
全国的にピッキング、サターン回しなどの手法で、空き巣の被害が増大しています。わが団地のホームページでもこの1年間に11件の被害(世帯数700)があったと報告されています。とうとう堪りかね防犯の会が発足して、団地のパトロールを始めました。NHKも取材にきたとか。
我が家も心配になりドアの専門コーナーに出かけました。空き巣狙いはその気になればいくらでも物件はあるので、入りにくい鍵の家や、警戒をしていると思われる家はパスして、他の入りやすい家に回るとか。
コーナーには、鍵以外にもステッカーなどの防犯関係のグッズがずらり。さっそく窓の警報装置をつけました。裏には「警報器」と表から分かるようなラベルがあり、セットすると、ガラスの振動や移動に反応し強烈な音声が鳴ります。これでも気休めなんでしょうが。
夏野菜を家庭菜園へ 2003/05/13
土日以外にも自宅にいるようになると、今まで行けなかった家庭菜園にもいくようになります。つれあいに引っ張れて畝を耕して肥料を入れますが、不思議に団地の貸し農園にいる人とは挨拶を交わします。街では知らぬ顔でも山中ですれ違うときには挨拶をするのと似ています。つれあいは、団地のかなりの人々を知っています。今まで外に出ていることが多い「男ども」との地域の密着度の差は歴然としています。
今年も、なす、トマト、玉蜀黍、ピーマンの定番を植えました。最近は、カラスやヒヨドリの被害が目立ちます。苗の購入の時に、カラフルなピーマンの苗(画像下段)を見つけました。まるで、おもちゃかディスプレイ用に加工している趣があります。野菜にも流行があるのかなと妙に感心をしてしまいました。 しかし、食卓に登場させるには抵抗があり、我が家は緑色のピーマンを植えました。防虫剤も木酢液で有機肥料中心です。野菜を育てるには昔風に保守的でありたいと思っています。
山陰路は花盛り 2003/04/21
現職時代にはなかなか出来なかった一泊のドライブ旅行に行きました。画像は、鳥取花廻廊→松江城下→ティファニー庭園美術館です。大山を借景にした雄大な敷地を季節の花で飾っていました。松江は堀川めぐり。夜の散策ポイントもあり。宍道湖沿いのイングランド式の庭園と3年前にオープンした美術館のステンドグラスは見事。 現地の観光案内のパンフレットを見ると、松江と米子の観光地がリンクされセットで宣伝していることがわかります。車社会の中で山陰道が整備されつつありさらに交通アクセスはよくなるでしょう。境港の妖怪ロード、大根島、宍道湖、各地の温泉地と一度では見るには内容が豊富。リピーターも増えるでしょう。松江市内も市民の生活と観光が溶けこんでいる印象を持ちました。 私は鳥取市出身ですがわが町から県庁所在地を除くと、砂丘以外に観光をする市内の駐車場の整備も遅れています。米子・松江ブロックへの通過点的になっているという印象を持ちました。鳥取市出身者としては少し寂しい。('03/04/18-19デジカメで撮影)
退職記念に「枝垂れ梅」 2003/03/30
3月末で38年間の公職生活もピリオドを打ち、新たに第二ステージが始まります。
庭が寂しいので、連れあいと先日散策の途中に植木屋さんに寄り枝垂れ梅を「退職記念」として頼みました。二人とも桜や梅の時期に観賞にいくのが好きですが、これから足腰が弱くなっても自宅で梅の時期を感じることができるかなと冗談口を叩いています。
今日植えてもらいました。6〜7年の若木で来年から綺麗に咲きます。このまま枝を伸ばし5年目に剪定をして形を整えるといいとのこと。「夏に水をやりすぎると、木が子孫を残さなくてもいいと安心してしまいその次の年は花が少ない。水が足りないくらいだと、一生懸命咲く」という話を植木の職人さんがしてくれました。このあたり、過保護に何でも与えると頑張る力が出ないという教育的な言葉のようにも聞こえます。('03/03/30撮影)
押絵の雛人形 2003/03/01
我が家では、内裏雛の人形の他に押絵の雛人形を飾ります。鳥取県の用瀬町に「雛人形の館」がありますが、そこに同様の押絵が因幡地方の伝統的な人形として展示紹介されています。他にも女性の着物姿の押絵がかなりあり、その一部には昭和14年の裏書があります。母から聞いた話では、私の祖母が本体を作り伯母が顔に墨で描いたとのこと。引き揚げの時には、人形の裏にお札を隠したり、戦後農家の野菜に消えたりしたとのことです。それでもそれぞれ姉妹の家にいくらか残っているほど祖母は作りました。気品のある手作りの押絵を見るとき、これからも大切に娘が飾ってくれたらと願います。 ('03/02/28撮影)
ダイソーと生活防衛 2003/02/23
ローカルネタ。須磨パティオに「100ショップ」のダイソーがあり重宝しています。パティオの駐車場料金は、最初の1時間が210円、それ以後が30分につき50円増えます。3000円以上の買い物をすると最初の90分の260円分がタダになるのですが、「神戸ウエストメンバーズカード」を持っていると、100円以上を購入すれば、同じように90分までが無料になります。クレジットなしのメンバーズカードも発行してくれます。このカードは、パティオ以外に、妙法寺、学園都市、西神南、西神中央の各駅の駐車場にも適用されるので車を持っているときわめて便利。  ('03/02/22撮影)
わたしたちの町の昭和展 2003/02/09
「あの頃の神戸」をテーマにした展示会が阪急神戸で開催。最終日の今日、行ってきました。展示されている街角のセットや日用品が懐かしく、忘却の彼方に消えていく寸前に思い出したものが多くありました。ダンチ族の登場、三種の神器。力道山のプロレス。
ちょっぴり豊かになったけど物を大切にし、なお家族が肩を寄せてちゃぶ台を囲んで食事を摂っていた時代が、ほんの少し前まであったのですね。年配の夫婦が多く、記憶を手繰り寄せながら当時の小物を指差し、いい顔で語らっていました。 ('03/02/09撮影)
旗振山散策 2003/01/26
運動不足解消のためにウォーキングシューズを購入し、高倉団地から「おらが山」を経由して「旗振山」まで歩きました。神戸は海と山に挟まれ六甲縦走路が住宅街の近くにあります。山頂からは、明石大橋と淡路島を望む雄大な景観を楽しめます。 散策路を結構熟年の方々が歩いていて元気そのもの。山頂が近づくにつれすれ違う時の挨拶の頻度も増えていきます。登山会が結成されており毎朝山登りする方の出席表が貼ってありました。高倉山の石碑には、「ポーアイ建設の時に山を削り埋め立てをした。気象状況の環境変化と景観を配慮して209メートルの高さで抑えた」ことが記されています。近隣の人々の健康増進と交流に使われ賢明な選択でした。('03/01/25撮影)
入試あの手この手 2003/01/10
少子化が年々言われる中で、定員の充足率も切る学校が増えています。推薦入試がメインとなり半数近い人数を確保し、一般入試は一部の国公立を除いて最後の定員確保という手段になっています。入試方式も工夫がなされ難易度も含め変化が激しく入試傾向が読みにくくなってきました。
成績優秀者を確保するために優待生制度を行っている大学もありますが、電車のつり革で見かけたこの画像は、より「わかりやすく」入試方法を説明しています。本来は大学の特色をアピールするウリよりも、金銭的な負担減が効果的ということでしょうか。成績下位者が上位者に金を支払う図式に見えるけど、これで志願者が増加するのかどうか他所ごとながら気になります。('03/01/9撮影)
自宅の庭の蝋梅 2003/01/04
人にはそれぞれの過去の出来事を連想するキーになる物があります。私の場合、「蝋梅の花」を見ると30年以上前のことを思い出します。一月に父がなくなり葬儀のために帰省していました。その時、母の親しい女学校時代の友人が一輪の蝋梅のの切花を独りで暮らす母の所に持ってきました。独特の黄色と一輪でも強い香りを放つこの花の名前を覚えました。言葉で表わさなくても癒しの気持ちが伝わるこのような贈り方があることを知りました。
昨年、初売りで蕾のついた苗木を求め自宅の裏に植えました。今年は見事に花をそろえました。母もすでに4年前に逝きましたが、もう少し早く植えておけばよかったと思います。('03/01/04撮影)
次の日記帳に何を書く 2002/12/31
動機はすっかり忘れましたが小学校5年の「母の日」から、日記を書き始めて以来40冊を超えています。読み直すと気恥ずかしい多感な時代の記述が書き綴ってあります。また、書いたときの真情と別の言葉で表現されてる場面に出くわしてその前後の心情を忘却の淵から思い出したりします。
就職してからは、年々短文にそれも備忘録的な役割になり最近は、3年間の「連用日記」を愛用するようになりました。前年度に何をしたのかチェックするのに役立ちます。そして、還暦を迎えました。ちょうど3年日記も今日で終わります。文具店にいき次の3年日記を手にとりましたが、第二ステージとなる区切りの年に5年日記に切り替えました。これからは精神的にも肉体的にも5年が一つの区切りのような気がしたのです。考えてみると、若い時代の1年はその後の3〜5年の内容に匹敵するということでしょうか。
ルミナリエの変遷 2002/12/21
明石の歩道橋圧死事故の影響か、今年のルミナリエの交通規制は例年になく厳しく、元町方面から三宮の途中まで蛇行させて一方通行の規制をしていました。色は、年々カラフルになってきています。今年めだったのは、携帯による画像の取り込み。デジカメの登場時以上に、若者がカシャカシャやっていました。
今までの、画像ファイルから会場風景を繋いでみました。
↓96年だけ行っていません。
'95-02のルミナリエ
この画像の右上は、デジカメ元祖、『QV10』による1995年撮影です。カメラの性能によるのかも知れませんが、白色系から年々彩色がカラフルになっているように見えます。東公園の出店はなんとかして欲しいと個人的には思います。光のシャワーと「たこ焼き、烏賊焼き」の臭いはミスマッチ。('02/12/20撮影)
何の大売出し? 2002/12/14
近所のスーパーに隣接して小売店があります。車で買出しに行く地中に「大売出し」の幟。しかし、店舗のいくつかは、貸し店舗であったりシャッターがおりています。「お店」の「大売出し」かと思ったり。

幼い頃は年の瀬になると「誓文払い」の幟が立ち並び親に連れられて買い物にいくのが楽しみでした。昨今の大売出しは、うら寂しさの象徴のような気がする最近の世相です。
デジカメの効用 2002/12/12
協同購入の商品のりんごが、見事に腐っていました。左の画像ですが、デジカメに撮り今日の宅配の時につれあいが業者に見せました。いかにも苦情を言っているようで見せるのは嫌やと渋っていたのですが、業者は実態がわからないとこちらが疑われるし、本部からさらに流通業者や生産者へクレームがいいにくいし、向こうも役立つはずとプリントして渡しておいたのです。業者さんによると「今回は腐っているというクレームがあちこちからあった。ぜひ写真が欲しいと」いわれたとか。4個のりんごのうち、2個は食べられたのですが、4個分返金していただけました。
この不景気、この画像で流通業者が仕事を失ったら気の毒かなとチラリと思いました。
ルミナス神戸 2002/12/11
師も走るほどせわしない師走に入りました。走るほど忙しく仕事が入ればいいのですが、ベースダウン、関西の失業率は7%とあまり明るい話題はありません。
いやなことは、忘れようと職場の忘年会では今年は趣向を凝らし、メリケン波止場から「ルミナス神戸2」に乗船。港には帆船日本丸が停泊中。12/2までは海王丸も入ってました。会場から見るモザイクもなかなか風情があります。明石大橋の下を潜っての2時間、団体には貸切のフロアが提供。束の間のクルージングでした。今年もいよいよ押し迫ってきました。


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